[創作]書き続けて見えるものと思うこと
2013.03.17 Sun [Edit]
掌編を書き続けてみて
My Writing Puts George to Sleep / GoonSquadSarah
掌編を、ひたすら書いてます。
どのくらい連続で書いてるか、カウントしてない程度には書いてます。
こういう雑想記事の日以外は、最近、ほぼ掌編ばかりを書いてます。
書いても書いても、どこか満足しきれず、「この程度なのか!」と自分に愕然としたりもしたけれど、読み返したら「読めないこともないじゃん」という内容で、自分の脳味噌と現実との齟齬に、頭を抱える日々です。
書いて書いて、ひたすら書いて。
その中で、気づいたことと、思うことを、書いてみたいと思います。
文章の癖、表現の癖
私の文章は、うまい方ではありません。ぶっちゃけ、まず最初に、文頭一字下げという基本を守っていません。
これは、ブログや携帯サイト・ウェブ投稿をメインにしてきたからか、頭下げをしないようにいつの間にかなっていました。
文章作法、基本の文章ルールとしては「文頭一字下げ」は、基本です。これはよろしくない癖だなぁと思いつつ、ブログで読む場合、特に横書きの場合は揃ってたほうが私の好みなため、今のところこのままです。今後改善は検討しています。
また、体言止めが多いです。これは、割と初心者に多いくせですね。結構、長いこと書いてるくせに、これが多い私です。
あと、「――」を使う。これも画面で見るぶんにはギリギリですが、あまりいい文章とはいえません。
よくやってしまうこととしては、「~と彼女がいう」など、そのセリフを誰が言ったのかを文章として書いています。
これが悪い、というわけではないですが、セリフだけである程度誰が話しているのかを表現したり、セリフの後の行動でそれをしらしめることが出来るように出来たらと、思う次第です。
一時期それらを意識してかいていたのですが、連続で書いてるうちに、いつの間にかまた癖が戻ってきてました。意識しないとだめですね、やっぱり。
あとは、私は、ものすごく「言葉が足りない」というか、「書くべきところと省くところを選び損ねている」といえるかと思います。
基本、私の書く作品は「雰囲気小説」であるように思います。そこに流れる空気、雰囲気、心情だけで物語を押し切っているような、読者に行間を読むことを共用するような作品だな、と、反省しています。
これはこれで、個性、と言っていただけるかもしれませんが、反省し改善していくべき点でもあるのではないか、と、考えています。
構成の不足、校正のミス
基本、お恥ずかしながら掌編は一発書きです。
エディタソフトを開き、冒頭を書き始めてから一気に書き上げる過程で、物語が進むパターンと、おおよそ「彼を振る話」というのだけを考えてそのまま勢いで書き上げるパターンとあります。おおよそ、2000文字前後を最短15分~30分で書き上げています。とどのつまり「すべて勢い」で書いているため、掌編の場合は特に、構成だとかプロットだとかが、存在しません。
すべて、感覚で書いているため、説明ばかりだったり、ラストまで意味がわからなかったり、むしろ最後まで読んでも意味がわからなかったり、といった状況になったりします。
なんとか、最後までの中で「力技」ではあってもどの作品も「話」としてはまとまっていますが、これは改善すべき点じゃなかろうか、と思います。
一気に書くことも悪くはないのですが、もうちょっと全体の配分に意識を配るようにしたい、というところでしょうか。
校正のミス、というのは、上記の一発書きなせいも有り、変換ミスやら誤字脱字が存在する、という点です。
もしくは、おそらく表現のミスや、主語と述語の不統一やら、文法がしっちゃかめっちゃかな部分もあちこちあります。
本来であれば、人様のお目にかけるのですから、校正というのをないがしろにするのはよろしくないことです。
なのに、とにかく「書く・書き続ける」ことだけに主眼をおいてブログでの掌編を更新しているため、その辺りがおろそかになっています。
この点についても、今後、改善を考えていかねばならないでしょう。
書くことで悩むこと
ひたすら書き続けて思うのは「同じような話を量産しているような気がする」という点と、「この物語はなにが言いたかったんだろう、私」と悩む点です。
読み返せばちゃんと、完全に同じお話などない、と自分で納得できるのですが、書き上げたあとや書いてる最中にはそういった悩みに囚われて、手が止まりそうになることも多々あります。
悩んで考えることも大事なのでしょうが、私は一旦手を止めるとおそらく、今度は書けなくなるような気がするのです。
ほぼ毎日のように掌編を繰り出している現在、例えばもっとちゃんと書くために隔日更新にしよう、と、考えてしまうと、今度は余計に書けなくなるような、そんな気がしているのです。
実際、私は油断すると3ヶ月とか、普通に休んでしまうので、それらを回避するためにも、一発書きであっても毎日書く、という習慣を無くしたくないな、と、思うのです。
成長が見えない、という苦痛はあります。改善がみえない、という苦しみもあります。
でも、もしかすると、書き続けていれば、多少なりとも改善があるかもしれませんし、いまはわからなくともあとから読み返したときに「あ、ここよくなってるよね」と思えるような何かがあるかもしれません。そう考えれば、いまは苦しいけれど、こうして続けることにも、何か意味があるんじゃないか、と、そんな風にも思うのです。
毎日毎日、とにかく書くことで、似た話であっても同じ物がない、というのは、どこまで自分の中から苦し紛れでもねたが絞り出せるか、という挑戦でもあります。
だから、私は、苦しいけれど、問題はたくさんあるけれど、これからも多分、必死で毎日、2000文字ほどの掌編を、書き続けていきたいな、とそんな風に思うのでした。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
これからも、ぼちぼちとまいります。
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