[思考]出来ることを出来るだけ出来る順にやる、ということ。
2013.03.02 Sat [Edit]
出来ないことばかりに目を向けずに
あれもできてない。これもできてない。
もっとこうしなきゃ、ああしなきゃ。
ああもう、なんでできないのかしら。
そんな風に落ち込むのが得意な私です、こんばんは。
そんなこといったって、出来ないものは出来ないんです。
もちろん、そこに甘んじてたらダメだけど、でも、出来ないという事実を認めるのも大事じゃないのかな、と、思います。
きっと出来る! と信じて邁進するのもいいけれど、いまはこれは無理、と、きちんと現状を把握するのも大事。
なんて、思う今日このごろ。
今日は、「出来ることを出来るだけ出来る順に」やってるよーみたいなことを書いてみたいと思います。
出来ることを出来るだけ
あれもしなきゃ、これもしなきゃ、と思っても、体調やら気分やらで、出来ないことがあります。
少々の部分は、責任をもってなすべきことならば、気合を入れて何とかやりますし、そのちゃんと本当にどうしてもしなければならないことまで放置してしまったら、それはただの甘えになってしまうので、さじ加減は大事です。
が、それでも、どうしても、なにがなんでも、じゃ、ないのなら、少しだけ、あとに回したり翌日に回したり、「出来ない」状態であることを認めることも、大事なんじゃないのかな、と、そう思います。
その後、出来なかった、と、落ち込んでもいいんです。ただ、そこに嵌り込むのではなくて、次のときの奮起する材料に出きれば、それに越したことはない、そんなふうに思います。
甘やかすのではなく、妥協する。それも、悪い意味ではなく、ちゃんと周囲と自分の状態を見極めてする妥協は、とても大事だと思うのです。
しなきゃならないことは、生活する上で次々にのしかかってきます。
その中で、出来ることをできるだけやっていく、それが「生きていくこと」なのかもしれないなぁと、そう感じている私です。
出来る順にやっていく
やるべきことは、たくさんあって、もちろん、いますぐにしなきゃならないこと、とか、重要なことは最優先であるのは間違いありません。
でも、最優先をよりのけたあと、どれからやろう、と考えるよりも、いま出来ることから手をつけていくのもありなのかなぁと、そう感じています。
ややこしい理屈とか、理論は実は分かりません。本当はしすてまてぃっくにするには、どういう順番で、とか、いろいろあるんだろうな、と、思います。それを学びたくてあれこれ読んだりしましたが、ダメでした。理論的に生きてなさすぎました。私は感覚的に生き過ぎかもしれません。
それはそれとして。
なら、理屈じゃなく、いま手元にあるするべきことの中から、いま出来ることからやっていく、その方式でも、いいんじゃないだろうか、と、思いました。
それに「出来ることを出来るだけ出来る順にやる」って、覚えやすくないですか?
呪文のようにこれを唱えることで、ごちゃっとしたり、あれこれやらなきゃと焦ったり、出来なかったと罪悪感にとらわれがちになる頭の中が、少しだけスッキリするような気がするのです。
論理的に、考えられないなら、いっそ単純化してしまう。これが私流なのかもしれません。
シンプルに、単純に。
「出来ることを出来るだけ出来る順にやっていく」
まるで言葉遊びのようですが、単純なだけに、どうやるんだっけ、と悩むことなく、しかも、手順を考えてるうちに時間を食う、なんてことも減らすこともできるし、単純な私には、便利な方法です。
しかし、単純なだけに、まず動き出す最初を作るためには、とてもやりやすい方法なんじゃないか、とも思っています。
出来ることを出来るだけ、出来る順に。あとは、順番に1つずつ、そうすれば、いつしか、やるべきことは終わっているはずなのです。
きちんとしたいし、本当はもっと、こう、しすてまちっく?に、かっこ良く、GTD!とか、やりたいと思い、いろいろ試しても見ましたが、おおよそ失敗する人のパターンを踏襲している私が、唯一何とか続いてる、ひとつの方法です。
出来ることを出来るだけ、出来る順にやっていく。
優先順位の高い(明確に締め切りのあるもの)を優先させつつも、このフレーズに従って、これからもぼちぼちとやって行きたいなと思う私なのでした。
少々まとまりがわるいですが、読んでくださってありがとうございました。
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