[雑想]誕生日に思うこと。
2013.02.15 Fri [Edit]
何も変わらないけれど少し特別な一日
Happy Birthday Fidel! :-) / Karamellzucker
今日は誕生日でした。さんじゅうまるさい。今日から四捨五入せずともアラフォーよりとなりました。
さて、誕生日ですが、特に何事も無く。いつものように起きて、いつものように子どもを送り出し、いつものように学習(仕事のお勉強です)をすませ、いつものように軽く家事を済ませて、安静タイム、夜にお迎えにいって、いまのんびりしてる、という、何も変わらない一日でした。
こどものころ、誕生日というと、ものすごく一大イベントのように感じたものですが、この歳になるとなかなか、そうもいかないようです。
それでも、日付が変わってぽつぽつと、メールやツイート、MIXIのメッセージでおめでとう、といわれると、なんと申しますか、くすぐったいような照れくさいような気持ちとともに、嬉しくなってしまうのは、やはり、幾つになろうとも誕生日を祝われると嬉しい、という気持ちの現れかもしれません。
ちょっといま現在、あれこれと私生活でいろいろ有り、余裕が無い部分も確かにある中で、誕生日にまで気持ちが回ってなかったのですが、今日、こうしていくつかメッセージを頂いたことで、気持ちが少し楽になったような気がして、ちょっとだけ明日、ケーキでも買いに行こうかしら、と、そんなふうに思っています。
と、いうわけで、誕生日に思うことなどを、ぼちぼちらと書き連ねてみたいと思います。
「より上を」目指すのではなく、「コツコツと」
もちろん、よりよい状態を目指すことはいいことだと思います。が、私の場合、そこだけを見据えると、他をぶっちぎってそれ「だけ」に向かって、猪突猛進となってしまうので、そうではなく「コツコツと」を、改めて意識していけたらよいな、と、思っています。
より上を、もっと書けるようになりたい、と、「文字を書くこと」に意識を向けすぎて、掌編書きまくってますが、それ自体はよしとしても、もう少しコツコツと、もう少し丁寧に書けるようになる方がいいな、と、思うのも一つです。
たとえば、掃除。調子が悪いと少ししか出来ず、逆に調子がいいと大掃除をしてしまい、体調をくずすという本末転倒が得意な私ですが、大掃除も一気に全部を剃る必要はなく、例えば一日1箇所でも徹底的にやる、でもいいわけです。
うまく説明できないけれど、一気に全部を良い状態に持って行こう! と詰め込むのではなく、いい状態の青写真を頭に描きながらも、一ヶ所ずつだとか、1つずつだとか、コツコツとこなしていけるようになりたいな、というふうに、いまは思うわけです。
もともと猪突猛進で、物忘れが激しいいい加減なタイプですが、意識しながら変わっていけたらいいなぁと、思っております。
「楽しむ」ことを大事に、結果を強く求めずに過程を大事にする
なにごとも、始めたら私はつい、結果を求めてしまいます。人間ですもの、結果が出たら嬉しいし、やる気も出ます。が、結果がついてこないからと、凹んでやる気を無くすのではなく、その結果を出すまでの過程、たとえば何かを作ってそれが満足できる形になるまで、その作品を作ること自体を、もっともっと楽しめるようにないたいなぁと、思うわけです。
もちろん作ってる時は楽しくやってるはずなのですが、結果が悪かったり否定的な意見を貰うと、なんとなく凹んでしまいます。
でも、そこに囚われずに、なぜそれをやっているか、ということに意識を合わせて軸さえブレなければ、もっと楽しくいろいろできるかなぁ、なんておもったりするのです。
というわけで、あれこれの結果を求めるのではなく、これからも楽しく、ブログにしろ日記にしろ小説にしろ手芸やなにやらにしろ、続けていきたいなぁと、思っております。はい。
色々と考えてはみるけれど
と、いろいろと書いては見ましたが、とどのつまり、毎日の生活を穏やかに心地よく暮らせるようになりたいな、ということに尽きるのかもしれません。
将来のことを考えるのも、もっとよりよい生活が送れるようになりたいからで、子どもと私と、みんな笑顔で心地よく暮らせるようになりたいと、そう思っています。
ポイントは、子どもも笑顔でいられるように、というところで、しつけはしつけで必要だけれども、私が思うままの行動を子どもに取らせようとするのではなく、もう少し余裕をもって、少しずつお互いに、心地良い生活を維持できるようにしていけたらよいなぁと、そう思うのです。
まだまだ子どももこれから。そして、私も親としては、これから。
自分の個人としての、趣味やあれこれも大事だけれども、親としてのこれからももちろんこの上なく大事で、子どもとともに、すこしずつでも、失敗したり間違ったことをしてしまったとしても、前進していけたらいいな、と、思っております。
まだまだこの歳になっても未熟な私ですが、成長は意識していればいつまででも、何歳になっても出来るはず。そう信じて、いまよりも5年、10年と過ぎたあとに、ああ、昔よりも良くなってるな、と、思える自分であれるように、ぼちぼちとやっていこうと思うのでした。
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