[掌編]別れましょうそうしましょう。
2013.02.09 Sat [Edit]
「離婚してくれ」
まっすぐに私に向かって、そう彼が告げる。
だから、私は、笑顔で答える。
「ええ、喜んで」
彼の隣で、申し訳無さそうな風情を装いながらも、喜色を隠し切れない彼女に、思わず笑いそうになる。
差し出された離婚届に、にこやかなままにサインをし、印鑑を押す。
それを、彼の秘書らしき男に渡すと、少しだけにやり、と、二人に隠れてこちらに笑い掛けるから、なんともおかしくなる。
その男は軽く一礼すると、手続きのために部屋を辞していった。
さて、と、空気が緩んだ所で、彼が口を開く。
「じゃあすぐにでも荷物を纏めて――」
彼が、まっすぐにそう言うから。私は笑顔で、頷いて続きの言葉を告げてあげる。
「さっさと出て行ってくださる?」
ぽかん、とした顔の彼らを見て、ああ、美味しいコーヒーが飲みたい、と、ふとそう思った。
「出て行くのは、奥さんでしょう?」
おどおどした風情を装っていながら、出てくる言葉はそれなのか、と、呆れてしまう。
「いいえ? 出て行くのは、私ではないわ」
くすくす、と、笑いながら告げる言葉に、彼は一瞬、怒りのような表情を浮かべる、けれど、そこまで頭が悪い男じゃなかったのか、瞬時に顔色が真っ青になる。
そう、忘れてたの? ここは私の持ちもの。それも、結婚前に私が購入した物件だから、離婚後の財産分割には入らない。
くすくす、と、笑いながら、様子を伺っていれば、そんな真っ青な表情の彼を、急かすように隣の女がゆすぶってる。
「ど、どういうことなの? この家に、一緒に住めるのでしょう? ねぇ、そういったわよね?」
高級住宅地の一角、住んでるだけでステータスとなるらしい場所の家は、彼女にとっては外せないものだったらしい。
あらあら、こんなエリア、普段住むには不便なんだけれど。買ったけど使いがってが悪くて放置してたここを、彼との結婚の時にちょうどいいか、と、住処に決めたのは、彼の強い要望から、だったけど。まさか、私が家主だなんて、忘れてたのかしら。
おかしくなりながら、様子を伺っていれば、彼は、オロオロとするばかり。
あらあら、それなりに優秀な男だったはずなんだけど、どこで掛け違えたのかしら。
少なくとも、すべてを自分の力だと思い込んでしまったのは、敗因に間違いないでしょうけれど。
色々と、彼は忘れてしまってるようだけれど、もうすぐ離婚届も受理されるだろうし、あとは弁護士さんにお任せすればイイ。
子どもも居ないし、慰謝料を相手の浮気である程度頂いて、それで十分だわ、と、のんびりしてれば、彼の携帯が音を立てた。
離婚届、受理終了。
おっけい。
これで、彼は、名前が変わる。否、彼が希望すれば変わらないけれど、私の籍からは外れることになる。
そう、私の会社の親族ではなくなるわけで、そのことに彼が気づいているのかどうか。
はっ、と、顔を上げてこちらをみる彼に、ニッコリと笑う。遅い、気づくのが遅すぎる。
何か、口を開こうとするけれど、それを手で押し留める。
「なんだか、いろいろ大変そうだし、まずは身一つで出てくださる? 荷物はすべて、ご実家にお送りするわ。ご実家には私からお詫びのお電話をさし上げてあるから、何もご心配なさらないで?」
そうつげれば、目に見えて青ざめる彼。あらあら、どうやら、意味不明に盲目だった恋の魔法らしきなにかは、既にとけかけてるのかしら。
ここまで愚かな男だったとは、と、逆に哀れな気持ちになりながら、背後に立つ側近たちに指示を出す。
それに従い、彼と、その彼の新しい女を、強引にならぬようにしかし抗えないような強さで、部屋から面出す彼らに、頼もしさを覚える。
「――おまえ、っ」
振り返って何かを言おうとする彼に、にこやかに微笑みかける。
「さようなら。会社の方は、一応今までどおりの席をご用意はするけれど、いままでのような優遇はなくなるわ。頑張ってね」
ひらひらと手を振れば、連れだされていく彼ら。青ざめた彼に、え、なぜ? 何が? と、意味がわからない風情の彼女。
別に、愛人がいるくらいなら、別に構いはしなかったというのに、欲をかくからこんなことになるのよ。
ふう、と、ため息を漏らせば、ちょうどそのタイミングで芳しいコーヒーが差し出される。
「お疲れ様でございます」
そう告げる、昔なじみの側近に、小さく笑った。
そこそこ大きな会社の一人娘として生まれた私は、元々跡取りとして育てられた。女社長、でもよかったのだけれど、まぁ、時代的にもまだ女に厳しいことも有り、一応、婿をとって、配偶者を得た。まあ、数年様子を見て養子縁組もやぶさかではないけれど、と、その人を形だけでも社長に据えようということになったのが、お年ごろの頃。
どちらにしても、采配は私がふるえるように差配されていたので、問題はないか、と、ある程度優秀な男を、近場で見繕って結婚した。
男はおとなしめの良い人、だったはずだのだけれど、上の立場であれこれ仕事を動かせることに自信をつけたらしく、次第に我こそが社長なり、と、振る舞うようになった。いやそれはそれで、いいんだけれども、どうやら詳しい事情を知らない者達がおだてまくったらしくて、何やら暴走しだしたのがここ数年。
それでも、根っこはしっかりと押さえ込んでるから、問題はなく動いてたのだけれど、何やらそれに鬱屈をためたらしき彼は、近寄ってきた女にほだされて、離婚を決意。どうやらその彼女の実家も何を考えたのか色々と煽ったらしく、私を追い出しすべての実権を握ろう、と考えたのかどうなのか。
こちらのいろんな情報を得ようと探ってたらしいけれど、お生憎様、こちらは尻尾を掴ませない。だって、彼の側近のほとんどが、元々私の側近だった者たちだし。彼をおだててた連中は、泳がせてた連中だし。彼に勝ち目は最初からなかったんだけれども。
それでも、あそこまで馬鹿になってるのは、正直思わなかった。
追い出せると思ったのはなぜなのか。あれか、おだてる人間がとことんおだてたのか。わからないわぁ、と、ゆっくりとコーヒーを飲んでいると、すっと横から携帯が差し出される。
「会長よりお電話です。――背任容疑で、解雇だそうです」
あら、私が解雇なのかしらー、と、冗談をいいつつ携帯を取れば、お父様からのお電話。あら、ご機嫌がよろしくない様子、と、意外と娘出来合い風な父のご様子に、当たり前のことを考えながら聞いてみれば、彼は何を勘違いしたのか横領までやらかしていたようで。あらまぁ、と、驚きつつ、電話を切れば、続けて鳴り響く、別の携帯電話。番号は、彼からのもので、あらまぁ、と、笑ってしまう。
「やぁねぇ。この携帯、弁護士の先生のところに届けてくださる? あと、今後の連絡は、もう一つの方にくださるよう皆さんに伝えてね」
そもそも、彼に教えている携帯は、一本しかないのだし、と、そう告げれば、すぐにみなが動き出す。
彼の荷物をまとめる人間もいて、少し騒然とした家の中で、私はゆるりとソファから立ち上がった。
「今日は、実家に戻ることにでもしましょうか」
きっと、彼はこれから、修羅場だろう。実家に帰った所で、彼は3男。出来のいい長男次男がいるのだから、仕事はない。それ以前に、私の不興をかった、と、追い出される可能性大、か。
彼女の方も、何を勘違いしてすべてが手に入ると思ったのかはわからないけれど、実家の会社も取引停止だろうし、彼女自身もこれからどうなるのか。
私は別に手をだすつもりはないけれど、と、肩をすくめて、側近に促されるままに、部屋を出る。
愛していたか、といわれると、疑問は残るけれど、結婚当初は悪く無いと思っていた相手だった。
でも、それでも。
なかなかうまく行かないものだわぁ、と、とりあえず明日以降のスケジュールを頭に浮かべて、私は、家をでるのだった。
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