[掌編]異世界からトリップしたなら
2013.02.06 Wed [Edit]
Another world? / bcreamer_bigd
フィオレンディーヌと、この国は呼ばれる。
緑あふれるこの国は、賢王の元、長く平和な日々を過ごしている。
この国は緑豊かである、ということは、つまり実り豊かでもあるということだ。
大小様々な国が存在するこの大陸で、小国ではないものの大国ではないこの国が、平和を維持しているのは、2つの力があるからだという。
一つは、外交力で、もう一つが、軍事力である。
外交に関しては、かなり以前より専門の文官を配し、実力あるものたちで固められている。
けれど、それだけで完全なる平和が得られるわけではない。
この国の大きな柱、それが騎士団であり、その長である騎士団長の人望と力だといえよう。
平和なこの国、とはいえ、なにごともなかったわけではない。
他国との戦がなかっただけで、あれこれそれこれと、王宮内での陰謀や国内での内乱の兆し、小規模な反乱など、全くなにごともなかったとはいえない。
それらを乗り切ってきた現在の王と、それを支える宰相、ならびに騎士団長は、どれも歴代に劣らぬ、否、歴代とくらべても傑出して、出来がよいとは、誰の言葉だったか、けれど、それも大げさではないというのが、世間の意見である。
さて。
そんな荒波を超えて、いまはとりあえず火種もなく平穏は日々を享受している王都にて、ただならぬ空気を漂わせる一角があった。
騎士団。
騎士団には様々な部署があるが、ここは主たる近衛騎士団の訓練所である。
そこで、ヒソヒソと会話をする、一団がいた。
「――この所、団長様、変だよな」
「ああ。変だ。あの、真面目でいかつくて、唐変木な団長様が――」
「浮かれていらっしゃる」
視線を、揃って一方向に向ければ、そこには鍛錬のためか、剣を振るうひとりの男がいた。
190を超える長身、鍛えあげられた実用的な筋肉が、軋む音を立てそうなほどみっちりと、剣を振り下ろすたびに動く。
男の中の男、とでもいうべきか、顔も整って入るがいかつく、男臭いその人は、ひたすらに剣を振っていた。
――鍛錬にしては、なぜか弾むようなリズミカルな動きで。
いままでに誰も見たことがないような、弾むような剣筋である。これをどう捉えればいいのか。
ご機嫌がよろしいようですね、とでも聞けばいいのだろうか。というか、騎士団長を前にして、そんなことを聞ける猛者はいない。
その男臭さから人気はあるものの、その真面目さクールさで、彼の前では誰もが背筋を正してしまう。
整った顔と、侯爵家の跡継ぎであることから、女性の人気は確かにあるのだが、その真面目さクールさと、男臭さによる威圧感から、近くに寄れる女性はいない。
ある一時期、騎士団長の近くに、小動物のような女性がいる、という噂もあったが、その当時、国は少々不安定であり、それどころではなかっため、誰も気に留める余裕などなかったが、その問題が落ち着いた時にはそばに誰かがいる気配などまるでなかったため、噂だろうと思われていた。
齢38歳、独身の騎士団長である。真面目で、堅物ともいえる、騎士団長である。
そんな彼の、どこかうかれたような様子に、すわ春がきたのかと、周囲が浮き足立ったのは、仕方がないことかもしれない。
その後もしばらく、浮かれるような騎士団長の姿をみて、部下である騎士たちは、どこかビクビクと怯えていたというが、真実かどうかは定かではない。
そして。
あるとき、侯爵家でパーティが開かれるということで、王族貴族、騎士階級の者たちが、こぞって招待された。
お披露目との事だった為、すわ、嫁か、嫁なのか、と、期待と不安に胸をふくらませ侯爵家を訪れたみなは、一瞬、度肝を抜かれた。
彼の傍らに寄り添うのは、黒髪に茶色い目の、可愛らしいと言える風情の、成人するかしないかのようにみえる少女だったからだ。
パーティに出ているのだから、成人している可能性は高い。が、その容姿は幼くみえ、まるでいたいけな子どものようにもみえる。
彼に春がきたのならば祝わねければ、と、思っていた周囲も、一瞬、戸惑う。
内心を素直にいうならば、”え、それって、ちょっと犯罪じゃね?” である。
貴族の世界、政略結婚なども当たり前に存在し、歳の差夫婦などおかしくはないのだけれどそれでも、なんといえばいいだろうか。
いかつく男臭い男の傍らにちょこんと、小さな少女がいる、という風景は、みるものにどこか、申し訳ないような、気まずさをよんだ。
どこか不安げに、きょろきょろと目を彷徨わせる少女はまるで、小動物のようで、騎士の若手の中にはその様子に胸をときめかせるものも出始める。
けれど、騎士団長の傍らにあることから、彼女は騎士団長のものなのだろう、と、湧き上がる恋心を押しとどめはするものの、視線はちらちらと少女へ向かう。
――そして。
少女が騎士団長の娘である、と、発表された時、周囲が揺れるほどのどよめきが、会場を襲う。
娘である。ごっつい男に、ちんまりとした娘。似てない。似てなさすぎである。
母親はどうした、突然娘って! と、驚く周囲の中、ひとりの男が、突然声をあげた。
曰く。
「娘さんを僕にください!!」
初対面である。初公開の娘である。
おおお、と、勇者に感嘆の声が湧く中、うろたえ真っ赤になる娘の横から、冷たい冷たい冷気が漂い始める。
騎士団長が、いままでにない覇気を発しながら、その勇者を睨みつける。
そして。
「娘が欲しくば、俺を打倒してからにしろ!」
騎士団長である。歴代最高といわれる男である。
青ざめ震える勇者に、呆れた視線を周囲は向けながらも、心は一つだった。
――この娘、いき遅れなければいいが、と。
団長の娘の噂は、一気に広まった。
その母はどこぞの隠された皇女である、いや、どこぞの貴族の娘である、など、噂は飛び交った。
けれど、真実は誰も知らない。
娘の母親が、異世界の娘であることも、過去に週に1度、来訪していたことも、何も知らない。
反乱がひどくなり、騎士団長の周囲も怪しくなった頃に、こちらに来ることを止めたということも、様々な事情から、いままで一度も会えなかったことも、誰も知らない。
騎士団長は、ひっそりとひとり、時折、妻となった女性が現れた場所に届けられる異世界からのたよりと絵姿(写真)のみを受け取り、会える日を指折り数えてきたことも、会えるまであと少しとなり、微妙に彼らしくなく浮かれていたという事実も、誰も知らない。
騎士団長の娘は、こうして、世間にお披露目された。
多少母親の出自がはっきりしないとはいえ、侯爵家のご令嬢である。
次の日から、ひっきりなしに縁談が届き、そのたびに騎士団長から冷気が漂うことになるのだが、誰も未だ知らぬことだった。
娘は、果たして、どちらの世界で生きていくのか。
誰にも気づかれることなく、しかし微妙に引きつった笑顔を浮かべる娘と、誰もがみたことがないほど満面の甘い笑みを浮かべる騎士団長は、微笑ましくもどこか恐ろしく、みなはそっと視線をそらすのだった。
――ある異世界に週末トリップして母となった女性と、旦那と、その娘のお話でした。
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