[掌編]ある恋物語の書かれた本のお話。
2013.01.20 Sun [Edit]
Girl Holding Book Looking Out Window free creative commons / Pink Sherbet Photography
ぱらり、ぱらり、と。
机の上の本が、風によって1ページ、また1ページとめくられていく。
大きく開いた窓からは、小さな小川と、その向こう、どこまでも、遠く遠く、はるか向こうまで続く平原がみえる。
風は草原を渡り、緑のしずくと香りをはらんでどこまでもさわやかに吹き抜け、そして、大きな窓にかけられた柔らかなカーテンをふわりと揺らした。
窓の前には、小さな机がある。
つややかに磨かれ、柔らかな光沢を放つその机には、インク壺とつけペン、それに本が一冊。
草原を吹き抜けた風は、ふわりとカーテンを揺らし、そして、ぱらりと、机の上の本をめくる。
ぱらり、ぱらり、と。
静かな部屋の中、誰もいない部屋の中、響くのはただ、その音ばかり。
誰も居ない部屋。一冊の本、そして吹きぬける風。
爽やかな緑の香りが、そっと、部屋の中を清めるようにただよい、やがて消えていく。
キィ、と。
部屋の入口に取り付けられた小さな扉が、かすかに軋む音を立てて、開いた。
その扉は、この家がたてられた、ずっとずっと昔から底にある扉で、少しだけ蝶番が軋む音がする。
長い年月を丁寧に磨かれて大事にされた扉は、つやつやと飴色に輝いて、とても美しい。
少しずつ開く扉から、ひとりの人影が、するり、と、部屋の中に入ってきた。
その人影は、少女のようにみえた。
ほっそりとした体と、長い髪を持つ、けれど女性というのはまだ幼いような、そんな様子だった。
彼女は、ゆっくりと窓辺に歩み寄る。
そのたびに、彼女のそのさらりと長い髪は、ゆらりと揺れ、美しい影を作った。
ぱらり、ぱらりと、本のめくれる音と、小さく、こつ、こつと、靴の音があたりに響く。
彼女は、ゆっくりと窓辺に歩み寄ると、それから、小さく微笑んだ。
そして、ぱらり、ぱらりとめくれる本をしばらく楽しそうに眺めたあと、ゆっくりと閉じる。
ぱたん、と、本の綴じる音。
そして、本を両手にもった少女は、そっと、そのページを開く。
そこにたっぷりと描き出された、物語の世界へと旅だつために。
彼女は、ワクワクする心を抑えながら、ゆっくり、ゆっくりと本のページを開く。
――と。
窓から、ふわり、と、再び、草原の香りをはらむ風が、カーテンを揺らしながら部屋へと吹き込んできた。
その風は、さわやかな香りを周囲に広げながら、いたずらにさらりと、彼女の髪を揺らしてゆく。
彼女は、風に誘うわれるように、窓の外をみた。
目の前には、小さな小川。そして、その先に、どこまでもどこまでも広がる、はるかなる草原。
そして、ゆっくりと沈み始める、くれないの、茜色の、太陽の姿。
彼女の唇が、そっと、静かにほころぶ。
しばらく、じっと窓の外を眺めていた彼女は、一度、深く幸せそうなため息をつくと、やがて、机のわきにすえられた椅子へと腰をかけ、窓辺からの明かりを頼りに、ぱらり、ぱらりと本をめくり始める。
日が落ちて、文字が見えなくなる、その時まで。
彼女は、僅かな時間を愛おしむように、ゆっくりと、ぱらり、ぱらりと、ほんのページを捲る。
それはまるで、いまこの、太陽が沈むまでの時間を惜しむかのように、もしくは、まるで、まもなく終わらんとする少女時代を惜しむかのように、ただ、静かに、ぱらり、ぱらりと、本のページをめくってゆく。
――口元には、穏やかな幸せそうな笑みを浮かべて。
本は、ずっと、この家の女の子に手渡されてきたのだという。
そして、また、きっと、この本は彼女の子どもへと、受け渡されるのだろう。
――ある恋物語の書かれた本のお話。
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