[雑想]抱きしめる温もり
2013.01.18 Fri [Edit]
抱きしめる
子どもをぎゅーっと抱きしめると、くすぐったそうに笑ってひっついてくる。
調子が悪い時、いらいらするとき、とにかくぎゅーっと抱きしめると、少しだけ、楽になったりイライラがおさまったり。
特にこの寒い冬、抱きしめて伝わる体温は、とても暖かくて、幸せだなぁと、しみじみしてしまう。
子どもの温もりと、にゃんこの温もり。
寒い冬だからこそ、余計に、感じられるこれらが、愛しいのかも知れない。
揺れるこころと、不安定
心が揺れることが、毎日いろいろある。
息子のあれこれ、毎日同じ事を告げているはずなのにころっと忘れること、とか。
いちいち、私に言いつけに来る娘のあれこれ、とか。
おさまらない体調不良とか、ほんとに、あれこれ。
大したことじゃないとは思うけれど、積み重なるとため息が出てくる。
ふぅぅぅぅ、と、息をついて、ぽーんと全部投げ出したくなるような。
そんな気分になることも、ある。
揺れてるなぁ、不安定だなぁ。
そんな時、自分の心を見つめて、私はそんなふうに思う。
一歩下がって、自分を見つめるような、そんな感じ。
昔は、そんな不安定の中の中心にどっぷりと使って、どんよりと落ち込んだりとせわしなかった。
でも、最近はそんなことも無くなり、一歩下がれるようになった。
それがいいことかどうか、は、わからないけれど。
少しだけ生きやすくなった、のは、本当。
成長したねぇ、と、笑いあう
病院に、二ヶ月に一回、受診する。
正直、受診に行くほうがきついよ、と、どこか矛盾したことを考えつつも、お薬をもらいにと、診察を受けに出かけていく。
主治医にかかって、おおよそ12年位だろうか。
会話をしながら、自分が年をとったなぁと、思うことも多々ある。
昔はすぐに、傷ついていた。昔はすぐに、腹を立ててた。
今はそのすべてを、笑い飛ばせる。
年取ったなぁって、思うんですよ。
図太くなりました。
昔は繊細だったから、と、笑う私に、先生もそっと笑う。
うん、繊細だったね。すごく繊細だった。
別の科では、笑いあいながら、しみじみと先生が言う。
成長したねぇ。すごく、成長したねぇ。
30過ぎて、40のほうが近いような歳になって。そんなことを言われてしまうと、なんだか逆に気恥ずかしい。
それでも。
良かったねぇ、と、笑ってくれるから。
開き直るのも大事だよーと、笑ってくれるから。
私も一緒に、笑い飛ばす。
だって、きっとなんとかなると思いながら、それなりになんとかなるように考えて前を見つめていれば、無理をする必要なんかなくって、ちゃんとするべきときにするべきことが出来るって、私は知ってるから。
いままでそうやって、ダメになりそうだったり、本気で乗り越えられないだろうと思うようなことも、乗り越えてきたから。
だから、私は笑い飛ばす。
笑ってれば、なんだか、幸せな気持ちになれるから。
両腕に抱きしめて、そして。
子どもと、猫と。私の両腕にいま、抱え込めるのはたったこれだけでしかないと、私は知っている。
これ以上は無理だと、私は知っている。
母も、気にはなるけれど、抱え込むべき相手ではない、と、私は知っている。
なぜなら、母は、ちゃんとひとりで立っていける自立した人間であり、そして、抱え込むべき相手ではなく、支えあうべき相手だからだ。
子どもたちも。
いまはぎゅーっと抱きしめて、伝わる温もりの中で笑い合えるけれど、これから成長していけば、私が抱え込むべき相手ではなくなるだろう。
きっと、段々と抱きしめる回数もへり、やがては私の元から飛び立っていくはずだ。
否、飛び立っていってもらわなければならない。
だからこそ、いま、子どもを抱きしめて感じる温もりや、お互いに笑いあう笑顔を、私はけして忘れないでおこう、と、そう考える。
愛しい、とか、愛してる、とか、言葉にするのはなんだか違うような気もするけれど、だけれど。
大事な子どもたちだからこそ、いずれはちゃんと、この両腕の中から飛び立っていけるように。
この温もりを、大切にしていきたいと、そんなふうに、私は思うのだった。
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