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[思考]自分を励ますためにブログを書き続けているのかもしれない。

2013.01.11 Fri [Edit]

出来ない日はできなくてもいい。


Flossy
Flossy / Ryan Lea



今日は、本気で「出来ない日」です。
何もできてません。不調の息子と一緒に、一日布団の中でした。

仲良しー。

そういう意味では「ダメじゃない日」ですね。

家事も殆どできてない、食事もなんとか、っていう、こんなギリギリな一日、ぶっちゃけ本気で「ダメな一日」だったんだけど、それでも、一日息子の様子を見つつ、ヒソヒソお話したり笑ったり、一緒に眠ったり(さすがに最近はだいぶ減ってきていたのです、1年生になってから)、こんな日もありなのかな、と、思っている今現在。

ダメ、っていうか、出来ない日はできなくてもいいんじゃないかなー、なんて、思っている私。

出来ないわー、ダメだわー、と、落ち込んでグズグズして、あとに響くよりも、今日はしない日! ダメな日! とがっつり開き直って、しっかり休んで、その代わりに翌日、もしくは翌々日にすっきり復活すれば、そっちのほうがいいんじゃないかなー、なんて。

思ったりする、今日この頃です。





出来るときに出来ることを。


仕事で忙しかったり、体調が不安定だったり、理由はなんだっていいんです。

あれとこれしなきゃ……と、できなくて落ち込むよりも、最低限のこれだけ! を確実に把握し、最低限それだけは、例えば数日、もしくは1週間くらいの枠の中に設定して、それができてればオッケーなんじゃないか、と、私は思います。

家事。たとえば掃除。ホントなら、毎日できたほうがいいでしょう。でも、毎日完璧にすることは、本当に必要でしょうか。

出来るならばしたほうがいいでしょう。そりゃ、それに越したことはないと思います。

でも、たとえば、毎日じゃなくても、1週間のうちに決められた範囲をある程度決めた回数こなせれば、それが連日やってあと休むのでも、隔日で行うのも、日数さえ同じならば、同じなんじゃないかしら、と、どこか横着な私は、考えるわけです。

それがいいことかどうかは、わかんないですけれど、でも、思うに、最終的にゴールがある程度同じ場所ならば、そのゴールに辿り着くまでの道筋は、多少違っていてもいいんじゃないでしょうか。

私の場合、予定というかタスク的には、掃除機も洗濯もおおよそ隔日です。んで、その間に洗濯をたたむ日ともップをかける日があります。

が。

出来ないときは、掃除機とモップと洗濯干しと洗濯畳みが、同日に合体することもあります。

つまり、出来ないときは開き直ってしないでおいて、出来るときにどかーんとやる。

タスクとして管理してますから、溜まってると解りやすい。さすがに1週間まるっと何も出来ない、ということもないですし、隔日が3日に1回になっても、そこまで大差ない、と、思ったりもします。

出来るときに出来ることをする。

裏っ返せば、出来ないときは出来ないと開き直る。

最近は、そんな感じでやってます。


不安と落ち込みからの開放



かなりいい加減で、ゆるゆるな考え方ですが、この考え方のおかげで、だいぶいまは助かってます。

私はもともとは、決めたことを決めたときに出来ない自分を、ものすごーく、そのたびに責めていました。

なんてダメなの。普通なら出来るでしょう。怠けてるんでしょ、情けない。

そしてどよよーんと落ち込んで、その落ち込みを引きずり、余計に何もできなくなるという悪循環。

ここしばらく、時々ブログでも似たようなことを書いてきましたが、最近は、「ま、いっか」的思考というか、上で書いたような「出来るときはする出来ないときは開き直る」思考のお陰で、そこまで落ち込まなくなりました。

おそらく、なんとか瀬戸際で落ち込むのをとめてるんだろうなぁ、と、自分でも思います。

落ち込もうとおもえばどこまでも落ち込めそうな自分を、もしかするとこうして記事を書くことで正当化しようとしてるのかもしれません。

でも、それでも。

そうすることで落ち込まずに済むならば、落ち込まずにすみ、引きずらずに復活できるならば、正当化だろうかなんだろうが、有りなんじゃないかとも、考えてます。

それで楽になって、復活できるなら、それに越したことはない。と、思うわけです。

不安になるのも落ち込むのも、そっちのがもしかすると楽かもしれません。ええ、その時だけは。

あとから、それにとらわれて苦しくなるので、一概に楽とも言えませんが、落ち込みそうになるのを留めるのは、実は無意識でも結構、それはそれで大変なことなのかもしれません。

だから、どんな方法であっても、それをせき止めることが出来るならば、ありなんじゃないかな、と、私は考えているわけで。

もしかして、頑張らなくていいじゃないかなという記事を書き続けてるのも、私がそれを自分でもっと信じるために書いているのかもしれません。

正解がどこにあるのか、なんて、私は知りません。

でも、自分が生きやすく生きられるように、もう少し肩の力を抜いて生きられるように工夫すること、それは、悪いことではないんじゃないだろうかと思うのです。

不安も、落ち込みも、全くなくすことはできないでしょう。

それでも、工夫して軽くしたり減らすことは出来るはず。

出来ない日、で、落ち込みそうになることもあるけれど、それでも、いま、私がなんとかぼちぼち元気で居られるのは、そのおかげなのかもしれないな、と、思う今日この頃なのでした。

ここまで読んでくださってありがとうございました。

今日はさっくり早めに寝ようと思います。

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