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[思考]自分を本当に助けることが出来るのは、結局、自分だけだよという話。

2013.01.06 Sun [Edit]

「頑張ってるのに、苦しいのに、誰も私を助けてくれない」


Zelda the cat on Caturday
Zelda the cat on Caturday / WarmSleepy


若いころの話です。私は世話焼きでした。おせっかいでした。自分が正しいと思ってました。出来ない人を助けるんだと思ってました。
世話を焼くことも、助けることも、行動としては間違ってはいなかったでしょう。
けれど、私の思考は、間違いなくどこか上から目線で、相手を見下していたように思います。

今思うと、とてつもない黒歴史です。ええ、身悶えするほどの。

そんな私ですから、いつも、思ってました。

「私ばっかり、頑張ってるのに誰も助けてくれない」、と。

高校を過ぎ、大学に入り、そして、持病が再発し、入退院を繰り返す中で、ずっと実は、そんな思考に囚われていた二十代前半から半ばに掛けての私。

今思うと、どれだけ若かったんだと思うばかりですが、それでも苦しくて必死だったあの頃。

目の前しか見えなくて、自分しか見えなくて、ジタバタあがいていたあの頃があるから、いまの自分があるとはいえ、周りの人に謝罪して回りたいほどの自己中心的思考に、恥じ入るばかりです。

そんな私が、変化していけたきっかけと、今の私の思うことを、つらつらと今日は、書き連ねてみたいと思います。

「私が悪いわけじゃないじゃない!」


これ、なんだと思いますか。私の母が、私に言ったセリフです。
ちょうど、病気がある程度落ち着き始めたけれどすっきりしない、入退院が一番頻繁だった時期だったと思います。
ボロボロの精神状態だった私は、自分の病気が実際に悪いのか、精神的に弱いからそこまでひどくないのに調子が悪いのかがわからなくて、グダグダ悩み、そしてひとりで悩めばいいものを、親に相当絡んでました。ええ、そうとうです。入院中に、電話を掛けてぐずぐずと絡んでみたり反抗してみたり、退院して家にいる時もごちゃごちゃと絡んではぐずぐずないたり、今思えば、本当にひどかった。

そんな私に、母が上のセリフを言ったのです。
その時の私は、自分しかみえてませんでした。まったく、自分のことしかわかってませんでした。だから、ショックを受けました。いや、ショックを受けるほどの言葉ではあるんだろうけれど、その時の私は、全く母の気持ちがわかってなかったのです。

――母は「私を病気持ちで産んでしまった」という負い目を、ずっと持っていた、ということに。

もちろん、親としていうべき言葉ではないでしょう。言わずにすむなら、言わないでいい言葉ではあるでしょう。
けれど、あの頃の私は、本当にぐだぐだで、私も疲弊していましたがそれに付き合わされる両親も、疲弊していたに違いありません。

上の言葉のせいで、実はずっとずっと、私は母に心理的抵抗を持ち続けていたのですが、子どもを産み、離婚し、育てる中で、じわりと母の気持ちが、完全ではないでしょうがわかるような気がしてきたのです。

きっと、母は、私がそうやって泣き叫びぐずぐずとするたびに、責められているように感じたのでしょう。
何で私をこんな風にうんだの!? と、責められていると感じたのでしょう。私はそんなつもりはなかった……はずですが、今となってはわかりません。
なぜ、私だけ、と、自己憐憫にとらわれていた私は、自分しか見えてなかった。誰かのせいに、何かのせいに、したかったのでしょう。

ヒドイことを言われた、と、思っていたあの頃。

けれど、今は思います。

「ヒドイことを言わせてしまった」と。


自分を本当に助けられるのは、自分だけ。


助けて欲しい、と、いつも思ってました。
誰かに大丈夫だよ、といって欲しいと。逆に、誰かにすっぱりと、それは甘えだと断言して欲しい、と。

誰か。誰か誰か。

そう、完全な他力本願でした。

当たり前です。誰かが助けてくれるはずがないんです。だって、誰もどうしようもないのですから。心の中は本人しかわからない。状態も本人にしかわからない。

本当に自分を助けることが出来るのは自分だけ。
周囲の人の手助けは、自分で自分を助けようとした後でないと、気付けないのです。

自分で助かろうとしてない人を、助けることが出来る人はいません。

自分で何とか助かろう、と、心構えをした人でないと、周囲の手助けの心は伝わりません。

ダメだと、助けて欲しいと、ただそう思うだけでは、周囲がたとえどれほど心を砕き、手を差し伸べても、その存在に気づかないのです。

なぜなら、自分しかみえてないのですから。自分だけ、自分の苦しさだけにしか、目を向ける余裕が無いのですから。

十年とちょっとたった今だからこそ、やっといえることです。苦しいさなかにいる時には、こんな事は言えません。

だって、苦しいんです。それしか見えないんです。それしか、考えられないんです。それが、当たり前なんです。

そこからやっと抜けだして、そして抜けだしたことに気づけた時、そこまできてやっと、ああ、そういうことなのか、と、振り返ることができた。

そういうものだと思うのです。



「ま、いっか」という言葉の魔法


変化のきっかけのひとつは、間違いなくこの言葉でしょう。

「ま、いっか」という言葉が好きです。
ぐるぐるぐだぐだと悩んでも、とりあえず「ま、いっか」と、一旦思考を止める。
ぐるぐるとぐだぐだと、苦しく激しく悩んで落ち込むよりも、「ま、いっか」と思考を停止させて寝ることで、朝起きたらすっきりと答えが出たりする。

堂々巡りを繰り返してる時は、どれほど考えても答えなんかでないんです。
なぜなら、答えに気づいていても、そこを無意識に避けて悪い方悪い方に考えてしまったり、全く明後日のことを心配したりと、不思議とそういう思考回路になるのです。

それならば、ぐるぐるぐだぐだ、悩むよりも、一旦止めたほうがとても建設的。

「ま、いっか」という言葉は、それに最適な言葉だと思うのです。

その言葉を使うようになってから、少しずつ私は、変化していけたようにおもいます。

ま、いっか。と、思考を止めて、深呼吸して。

そして、空を眺めると、結構空がキレイだったりして。

そうはいっても、最初はなかなか、うまくいきません。

止まらなかったり、「ま、いっか」、という言葉自体に違和感や嫌悪感を覚えたり。

それでも続けていると、気がつけば自然と出来るようになっていて。

そうすると今度は、目の前にある小さな「いいこと」が眼に入るようになってきて。

たとえば、もらったお菓子が美味しかったとか。通りすがりの道で咲いていた花が綺麗だった、とか。

自分の目の前の苦しいことや辛いことにだけ目が向いて、ぐるぐると思考が回ってる時には感じられなかった、目に入らなかったことが、「ま、いっか」とそのぐるぐるを止めることで自然と眼に入るようになってきて。

そうすると、今度は、なんだかじわっと幸せな気分になってきて。

ここまで来ると、少しだけ、心が楽になってきたのです。



私のきた道。これからの道。


10年。再発した年から考えると、20からですので、15年。16年でしょうか。

そこまでかかりました。それだけ、かかりました。

25過ぎた頃からは、最初の頃のようなヒドイ絡み方や激しい落ち込みは無くなりはしたのですが、今度はここ数年前まで、ものすごく私は自信を無くし、私はダメすぎるとそういう意味で今度はグルグルと回るようになりました。ぐるぐるです。ぐるぐる。

今でもまだ、グルグルしそうになるときはありますが、それでも以前よりはほとんど皆無に等しいレベルになりました。

「ま、いっか」と考えられるようになったこと。そして、ありがとうという言葉を伝えるようになったこと、そして、目の前のいろんなことをみつめ感じられるようになったこと。それらのお陰で、私は落ち着くことが出来るようになったように、思います。

人間ですから、性根を完全に変えることは難しいでしょう。

実際、油断すると自分ができる分野、得意な分野に関しては、天狗になってしまいそうな自分が、未だ居ます。ええ、未だ居ますとも。ですが、そうなりうる自分というのをわかってさえいれば、逆に、そうならないように自分を戒めることも出来る。そう考えて、自分を省みる日々です。

「実るほどに頭を垂れる稲穂かな」

素晴らしい言葉だと、私は思います。そう有りたいと、心に戒めている言葉の一つです。

これから先、周囲の人に対してだけでなく、子どもに対してもそうあれるよう、戒めていきたい言葉です。

そして。

もし、子どもが昔の私のように、何かで苦しいと悩みもがく時がきたならば、母や父のように、受け止めながら寄り添っていきたいと、そう思います。

自分を助けることが出来るのは、結局、自分だけ。

けれど、自分で何とかしようと思うことさえできれば、道は必ず開けます。ええ、開けますとも。人間、なんとかなるものです。

まだ完全じゃない私です。たぶん、これからも悩みあがき考え、そして立ち止まり振り返っては、また前に進むのでしょう。

まだまだ、悩むことも多いけれど、やるべきことも多いけれど、それでも、私は、自分で自分を助けていきたい。

差し伸べられる手に気づくことが出来る、受け止めることが出来る自分であれる、そんな私でありたい。

自分をほんとうの意味で、助けることが出来るのは、自分だけ。

卑屈でもなく、悲観的でもなく、他人を頼らない、という意味ではなく。

ただ、素直に、この言葉を胸に、けれど周囲への感謝を忘れることなく、進んでいきたい。

いまはそんな風に思う、私なのでした。



つらつらと思うがままに書き連ねてみました。
長々と読んでくださり、ありがとうございました。

読んで下さった貴方に、心からの感謝を。

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