[思考]ノート整理してたら古い夢ノートが出てきた。
2012.12.29 Sat [Edit]
2007年頃の夢ノートが出てきた
Studying for Finals / ewen and donabel
大掃除のついでに、今年の振り返りや来年の計画なんかをたてようと、ノートを整理していました。
その時、奥の方に古いノートがあったので、ふと開いて確認してみました。
古い、2007年の頃にかいた夢ノート(もどき)でした。
その1ページ目に、私の年と子供の年と、何がしたいかをかいた欄があったのですが、その2012年のところに、こう書いてあったのです。
「仕事を見つける」
今年、私は続けていけるだろう仕事に、たどり着きました。
ちょっと鳥肌がたった出来事でした。
古い夢ノートが教えてくれたもの
このノートには、母と父の年齢も入れてあって、昨年父をなくした私としてはちょっと胸に来るものもありました。
どうやら、夢リストの詳細は別ノートへ移動させたらしく、あまり多くの夢は書かれていませんでしたが、そこに書かれていたのは「概念的」というか、大きな目標のような、「こうありたい」という生き方のようなものばかりでした。
30代の始めの頃にかいたものだからか、最初の一行に書かれていたのは、「充実した30代を送りました」という言葉。
なるほど、私は充実した30代をおくりたいと思っていたのか、と、ちょうど折り返しの35歳、来年になれば36歳の私は、しみじみと思いました。
30代前半の私は、多分、ものすごく焦っていたのでしょう。
思えば、乳飲み子を抱えての離婚、その後の実家からの独立、そのくせ思うように行かない体調、と、いろんなことがあった30代前半でした。
今のように、ある意味開き直れるようになったのは、割りと最近のことで、じたばたとあがきまくる30代前半だったように思います。
この古い夢ノートを見ていて、ふっとその頃の、強いがんばろうという気持ちや、やる気、そしてままらないことへのいらだちや焦りが鮮やかに蘇ってきて、なんとも切ないようなくすぐったいような不思議な気持ちになったのでした。
あの頃の私は、必死でした。「大丈夫」が口癖で、また、まっすぐにひたすらに頑張り続けていました。けれど、体やさまざまな事情で、なかなか思うように行かず、思ったほどにはできなくて、頑張っても頑張っても頑張りが足りてないような気がして、落ち込んだりイライラしたりと、大変な日々でした。
最近では開き直って「頑張らないもんー」とか言ってる私ですが、あの頃の一生懸命さが微笑ましいような、もうちょっと肩の力抜こうよと励ましたいような、そんな気持ちです。
このノートは、あまりたくさん書かれてません。
それもまた、あの頃の精一杯っぷりが現れているような気がして、本当に私は頑張ってたんだなぁと、思えました。
そう、私は、私なりに、しっかりと頑張っていたのです。
過去の私と今の私。
過去の私を思うとき、空回り気味の頑張りであっても精一杯であったその姿勢や気持ちは、今の私よりも素晴らしいものだな、と、感じました。
けれど、今の私は、過去の私より劣っているのでしょうか。
今の私は、頑張らないことを選びました。
けれど、古いノートに書いてあった「仕事を見つける」といった言葉をみたとき、私は、確かに少し出会っても、前進できているんだと、そう感じることができたのです。
成長は、他人と比較するのではなく、過去の自分と比較することで実感できるように思います。
過去の私は、確かに一生懸命で、頑張り屋で、それはそれで今の私からは思いもよらないほど頑張れていたと思います。
けれど、私は、いまの自分が好きです。
「がんばらない」ことを選び、いま出来ることを1つずつ、目の前のことを1つずつ、足場を踏み固めるように進んでいく自分が、かなり好きです。
あの頃の私は、自分を好きだ、なんて言えなかった気がします。
頑張っても足りない、出来ない自分を、これっぽっちも肯定することができず、未だ足りない、未だできてないといつも、自己否定の沼にどっぷりと浸かり混んでいたように思います。
そう考えた時、私は、今のこの考え方が出来る自分になれたことを、嬉しいと思うし、今のほうが「呼吸することが楽」だと感じることができているのです。
もしかすると、また5年経った時、今の私のこの状態も、その頃の私から見れば「微笑ましい」とおもわれるものなのかもしれません。
これからの5年。また今あらためて、夢ノートを作り、今度は「夢の計画表」を作ろうと思っているこの年末。
また、今回のように「開いたらかなっていた」というドッキリがあり得るように、軸をしっかりともって、進んでいきたいなと思う私なのでした。
読んでくださって、ありがとうございました。
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