[思考]「ありがとう」という言葉が何よりも大好きです。
2012.12.22 Sat [Edit]
「ごちそうさまでした、美味しかったです」
私は、お店でごはんを食べたあと、会計のときにたいてい、こういいます。
もしくは、カウンターにお皿を返すとき、人がいればそう声をかけます。
そこにある気持ちは、「おいしいごはんをありがとう」という気持ち。
もちろん、本当においしくなければごちそうさまでしたー、と声をかけるだけですが、それでも、美味しい物を食べたときは「美味しかったです」と、伝えたいのです。
美味しい物をありがとう、と。
バスを降りるときに「ありがとうございました」
バスを降りるとき、子供の頃から「ありがとうございました」といっていました。
たぶん、親がそういうように言ったのが最初だったんだろうな、と、思います。
ある程度の年齢までは、何も考えず、ある程度年齢が言ってからは、なんでお金払ってるのに? という気持ちになりながらも惰性で、ずっと言い続けていました。
けれど、ある時、ふと、ああ、これは、お金を払う払わないじゃなく、ただ「乗せてくれてありがとう」「お仕事お疲れ様です」という気持ちの代わりの言葉なんだな、と、そんなふうに思うようになりました。
今では、子どもたちも「ありがとうございました」と、言ってくれる。
まだ、わからないかもだけれど、なんだかほっこりする、瞬間です。
泉州でみた「ありがとう」の挨拶
一時期、大阪は泉州に住んでいたことがあります。
その当時、まぁ、いろいろいろいろありはしたのですが、その中でも忘れられないのが、挨拶のようにかわされる「ありがとう」の言葉でした。
レジで会計を済ませては「ありがとう」、駐車場から出るときにも「ありがとう」。
その家族だけなのかな? と最初は思ってたのですが、そうではなく、割りとその地域の人ほとんどが、そんな感じで会話を交わしていました。
ああ、なんかいいな、と、思いました。
もしかすると、ただの習慣的に交わし合っている言葉なのかもしれない。
でも、その言葉があるだけで、なんだか暖かくて、なんだかお互いいい気持ちになれて、とても穏やかでいられる。
いろんなことがあっていいことばかりとはいえなかった大阪時代ですが、そのことだけはとても印象に残っていて、つくづくといい場所だったんだなぁと、思う今日この頃です。
あの体験があったからこそ、私は、いっそう「ありがとう」という言葉が好きなのかもしれません。
言葉を伝える。心を伝える。
「ありがとう」という言葉は、すごい言葉だと思います。気軽に使える、けれど、とても心をいっぱい伝えてくれる言葉だと思うのです。
空気を暖かくしてくれたり、お互いに嬉しい気分になれたり、こんな素敵な言葉は他にはありません。
だから、私は、気がついたら口にしています。「ありがとう」と。
手伝ってくれて、ありがとうと、子どもに告げる。母が心配して電話してくれたから、ありがとう、と告げる。
些細なことでもいいんです。嬉しいな、と、感じたら、やってくれて助かったな、とおもったら、ありがとう、と言ってみる。
ごはんを食べに行って、美味しかったな、と思ったら「ごちそうさま、美味しかったです」と、伝える。
これも、ありがとうだと思います。
ありがとう、という言葉は、いう私も幸せだし、聞いて嫌な気分になる人もあまりいないんじゃないかな、と思います。
心のなかに、嬉しいな、という気持ちが湧いたら、ありがとう、と、伝えてみませんか。
ちょっとだけ、自分の気持ちが、幸せな感じになるんじゃないかな、と、そんなふうに思っています。
そんな感謝を、伝えられる人でありたいと思う、私なのでした。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
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