[メモ]手に負える範囲でやればいい
2012.10.26 Fri [Edit]
現在疲労ピーク中
現在、疲労が久々にピークになってます。
何をしたか、って、仕事の研修を受けてるだけなのですが、思った以上にダメージ。
「普通はこのくらいで疲れないはず」「普通の人は働いて家事もできてるはず」と、つい思考が「やっぱり私は甘えてるだけなんだ」「根性がないんだ」という方向に向かいがちになりますが、気合でその悪循環する思考を止めて、深呼吸しているところです。
人間ですから、甘えてない、とまでは言いません。もしかすると、他の人よりは甘えているかもしれません。けれど、その私が無意識に意識している「他の人」は一体誰なのだろう、と、考えた時、いもしない、ありもしない「普通」と自分を比較して落ち込んでいる私がいることに気づくのです。
誰だって疲れるし、何も出来ない日がある
誰だって、今日は何もできない! という日があるかと思います。もちろん、そこで踏ん張って、いつものノルマをこなす人もいるでしょうし、今日は何もしない、と切り替えて、次の日に備える人もいるでしょう。
それは、どちらが「いい」というものでもないし、どちらが「えらい」というものでもないと思うのです。
けれど、私は、気づけば「できるのが偉くて出来ないのがダメだ」と、特に自分に対してのみ、強くそんな風に思ってしまいます。考え方の癖、生き方の癖なのでしょうが、昔に比べれば切羽詰まってそんな風に考えることはなくなりましたが、それでも不意に、そんなことを考えていたりします。
比べるなら「他人」ではなく、前の「自分」
よく、あちこちで言われていることでもありますが、比較対象に他人を持ってきたところで、何も意味が無いのです。いえ、目標とか張り合い、生きがいという意味でライバルとなるひとを設定するのはいいのです。そうではなく、漠然と「他の人と比べて私は✕✕できない」という比べ方をするのは、あまりよろしくないのではないか、と、思うのです。
比べるならば、以前の自分。1ヶ月前の、半年前の、1年前の自分と、比べてみます。するとどうでしょう。出来ない、と、思っていたのは、できることが増えたからまだリズムが掴みきれていないだけ、だったり、できると思って自分で余分な仕事を背負い込んでしまっていただけ、だったりと、自分をより客観的にみることができるようになります。
実際、私の場合、今あれこれ出来ない、と感じているのは、実際に洗濯物の量的に2日に1回で充分(というかそうしないと逆に水道代がもったいない)洗濯を、どこかで「毎日しなければ!」と思ってするようになっていた、とか、以前は外に出るのも全くダメ(送迎除く)だったのが、研修だったり子どもの学校関係だったり、多少なりとも外に出て人と会話するようになっていた、とか、そういった変化がありました。前者は「不要ながんばり」で、無理ならば余裕で修正オッケーの事案ですし、後者にいたっては、以前の自分より良い方向にいっているという印でもあります。
こうしてみると、成長したり前より頑張ってたり、自分が変化していることがわかります。
ならばあとは、「結構がんばってるじゃん! じゃあ、余計ながんばりは程々にして、いま頑張るべき子どものお世話と、仕事関係、適度な家事を意識して、疲れが溜まってるのはしっかり寝ることで対応しよう! 時間も、も一回タスク整理して調整してみたらどうかな?」と、かなり健全で良い感じな考えができてくるわけです。
「自分はダメなのかも」より「前よりは進んだ!」
自惚れでも、ちょっとナルシスティックでもいいと思うんです。自分で自分のがんばりを認めても、いいと思うんです。「私は、高変化してる。前より少しでも前進してる。やったね。もちろんここは改善すべきだから、この次はここが目標だ」って思えたら、すごーく楽しくなります。
そんなわけで、私は、これから「他人よりも前の自分」を意識して、落ち込みすぎないように、ほどほどにしながら、進んでいきたいな、と、思うのでした。
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