[メモ]最初は怖いけれど、動き出せばそうでもなかった。
2012.10.13 Sat [Edit]
出かけるのが怖いのです
実は、というか、しょっちゅう言ってるような気もしますが、外に出るのが苦手です。
不特定多数、というより、もしかすると特定多数もしくは特定少数の、しかも、あまり親しくない、もしくは、それなりのお付き合い、という方に会う場合が一番苦手です。
たとえば、授業参観や運動会であったり、保護者の集まりであったり、初対面の方に会うまでの間というのが、とても苦手です。
なぜだろう、と、考えた時、やっぱり、見栄っ張りだったりいいかっこしいな自分、というのに、行き当たりました。
人に嫌われるのが怖い
ぶっちゃけ、人に「何この人」と、思われるのが怖い、というのが主軸にあるように思います。
良い人と思われたい、ひとに好かれたい、と、心のどこかで思ってるのでしょう。
もちろん、ひとに嫌われたいと思う人は少数でしょうから、そこまでその考え方自体は、特殊ではないと思います。
が、それに対する過剰なまでの心配は、少々極端だな、と、自分でも思うことがあります。
中島敦の「山月記」の中に、「臆病な自尊心、尊大なる羞恥心」という言葉が出てきます。
「山月記」はおおよその話の流れを覚えてる程度のくせに、このフレーズだけは、何年たっても忘れられません。
とどのつまりは、どこかで、良い人で有りたい、優れたひとと思われたいというプライドが邪魔をして、逆に行動を起こすことが怖くなり、外に出たくないと思っているのかもしれない、と、思うのです。
けれど、動き出せばそうでもない
つまり、考え過ぎなのです。どうしようどうなるだろう、どうおもわれるだろう。そんなこと、事前にどれだけ考えたってわかるもんじゃないし、事後にだって相手の本当の気持ちなんて、分かるわけないんです。
出来ることなんて、相手に不快な思いをさせないよう最低限の良識を持ちつつ、けれど自分の大事なことは曲げない、それだけのことなのです。自分の本当に大事にしたいことを曲げてまで、相手に合わせることは、それはそれで余計な負荷を自分の心にかけてしまうでしょう。
ゆえに、自分がこれ、と納得できる範囲で、けれど周りの空気に合わせつつ、マナーを守る。それ以外には何もないのです。
なので、動き出すと、結構どうってことがない。自分が出来る範囲で出来ることを、その日の目的をきっちりと把握していれば、意外と動き出したあとは、余計なことを考えずにすみます。
授業参観は、子どもの授業風景を見に行くわけで、運動会も子どもを見に行くわけで、そのつまりはなんのためなのかを、ちゃんと意識してそのことを一番にさえしていれば、間違いなくここまで毎回不安に陥る必要はないはずなのです。
外にでよう、人に会おう
そう、動き出せば、そうでもない。
それはきっと、私が、色々と考えすぎるから。あれこれと、自分が楽になれるよう、不安を潰すために悪いことを先回りして考えすぎるから。
案ずるよりうむがやすし、とは、まさにこのこと。
外に出るのは、相変わらず得意ではないけれど、もう少しだけ、自分のこころを開放して、アクティブになれたらいいな、と、思う私なのでした。
スポンサードリンク