[掌編]夢うつつから目覚めるとき
2012.09.28 Fri [Edit]
――役立たずの姫、と、何度言われたことだろう。
幼い子どもの前だからと、口さがない侍女が漏らした言葉は、おそらく、その頃、城に務めていた多くの人が感じていたことだったのかもしれない。
何か大きな病をもっているわけじゃない。
酷く病弱、というわけでもない。
けれど、気がつくと熱がでてることが多くて、わたしは、昼下がりをよく、夢うつつに過ごす。
ざわざわと聞こえる部屋の外の喧騒を子守唄に、とろとろとしたまどろみの中で、わたしは、半ば夢をみているようなここちで、とろとろと溶けて消えてしまいそうな、暖かな幸せのなかに、たゆたうのだ。
その穏やかな幸せと、微かなさみしさと、幼い頃からずっと一緒だった私は、年を経てオトナになった今でも、同じように、昼下がりのひとときを、とろとろとしたまどろみの中に、生きているのだった。
それを哀しい、と、思ったことはない。
私は、こうして生きていて、少なくとも酷い苦痛の中にあるわけではなく、けれど、とろとろとした穏やかな時間の中を過ごせることが、何よりも幸せだと、どこかでわかっていたからだ。
――外で、何が起こっているのか貴方にお分かりか。
――貴方に外の苦しみが、少しでもお分かりになるのか。
面と向かって、布団から起き上がれぬ私にそういった人が、ひとりだけいた。
そのものの姿すら見なくなって、もうどれほどがたつのか。
私の世話をしてくれる年老いた女官と二人、城の中の部屋では質素とも言える部屋の中で、ひっそりと、ただ、本を読み空を眺め、物心ついた時より暮らしてきた。
――亡くなった、王妃の娘。
――既に失われた国の、遺児。
そんな立場の私を、おそらく城の人たちは持て余していたのだろう。
それでも、元気であるならば、何か手伝うこともできただろうし、政略のコマとして使うこともできたはずだ。
父王も、母さまのあとに正妃になられた方も、けして私を蔑ろにしていたわけじゃない。
けれど。
母さまのお国が失われてしまったように、ちょうど、周辺諸国が騒がしくなっていて、国の舵取りと外交に、精一杯の時だったから。
姉様たちにも妹君たちにあったことはない。――みな、必要に応じて諸国へと嫁いで行かれた。
兄様たちにも弟君にもお会いしたことはない。――みな、それぞれの責務を抱えて、日々を過ごしておられる。
その中で、私一人、ひっそりと、昼下がりに夢うつつにたゆとうような生活をしていることが、果たして周囲にどれほど知られているのか。
ひっそりと静まり返った、城の端にある部屋の中、けれど聞こえる喧騒は、戦の終わりを告げるものか。
――最後の戦いがはじまると、聞いたのはいつだったか。
ひとりこの部屋に付けられ、それでも親身に世話をしてくれた女官が、ほろりとこぼした言葉を思い返す。
この国は、どうなったのか。
――民は、どうなったのか。
何も知らされぬままに、けれど、私はひとり、ただ、夢うつつの中を漂い続けるのだった。
いままでも、これからも。
それは、何も変わらぬはず、だった、のに。
扉が開く。
勢い良く明けられた扉に、驚いて視線を向ければ、ひとりの騎士の姿があった。
あれは、そう。
――外で、何が起こっているのか貴方にお分かりか。
――貴方に外の苦しみが、少しでもお分かりになるのか。
かの、騎士の姿。あの時以来の姿に、驚いて、ゆっくりと寝台から身を起こす。
この部屋に入ってこれるとは、どういうことなのだろう。
元々人が来ない部屋ゆえ、誰かが寝台のある部屋へと来ることは皆無に等しい。
かろうじてかの女官と、掃除に来てくれる下女が数名だろうか。
父上も、兄弟たちも来たことのないこの場所に現れた騎士は、まっすぐにその青銀の目を私に向けていた。
――どうして。
女性の部屋に、まして、仮にも姫と呼ばれているはずの私の部屋に、現れたひとりの男。この状況が一瞬理解できず、ただ、掛布を手繰り寄せてじっと視線を返す。
そして。
ひゅ、と、喉の奥がなる。
まさか。
まさか、何事かがあった、のだろうか。
何も言わずに私を見つめる彼の騎士に、すくみそうになりながらも口を開く。
「なにか、何か、父上に、国に、あったのですか……?」
その問いかけは、どうやら的外れでもあったらしい。一瞬驚いたように目を見開いた騎士は、一度瞬いたあと、唇を皮肉げに歪めるように笑った。
「なにも、いいえ、王にも国にも何事も無く。ただ――」
「……ただ?」
まっすぐに、騎士が、軽装の礼服姿で近づいてくる。短く駆られた金茶の髪がさらりと揺れ、窓からの光を反射して輝く。
「すべてが、最後の戦いが終わったのですよ」
す、と、ベッドのそばに来た騎士が、跪きながらそう告げて。
すべてが終わった。決着がついた、という事実に、僅かに頬に喜色が浮かぶのがわかった。
「まぁ……! ならば、みな、幸せに暮らせるのですね」
ふ、と、騎士が笑う。
「そうですね。――直ちに、は、難しいでしょうが、良い方向に向かうでしょう」
そして。
私が掛布の上に投げ出していた手を、騎士はそっと取る。
予想外の優しい仕草に、手をひくことも出来ずに驚いていれば、その手に、ひとつ、口づけが落とされた。
息を詰める私に、騎士は笑う。
「あのあと、王より将軍を拝命しまして、此度の戦に赴いておりました。戦勝の報奨を、お約束いただいた上で」
「――ほう、しょう?」
それが私となんの関係があるのか、わからぬまま、戸惑いのまま視線を向ければ。
くっ、と、どことなく意地悪さをにじませる笑い声を漏らし、騎士が告げる。
「ええ。――あなたを、我妻に。何も出来ぬ、何も知らぬ、姫よ」
息がつまる。何も知らぬ、何も出来ぬ姫。なのに、騎士は妻に、と、いう。
「な、ぜ」
戸惑いのままの言葉に、ふ、と、騎士は、それまでとは異なる笑を浮かべた。柔らかな、笑み。
「何も知らぬ何も出来ぬ、姫よ。私はあなたを、そばにおきたい。我が家ならば、貴方は何も出来ぬ姫ではなくなるでしょう」
王城であれば、私は姫でなければならず、姫であればなさねばならぬことを私には出来ない。
けれど、この騎士の妻であれば、私は、出来ぬことばかりではなくなるのだ、というのだろうか。
「――すぐに、熱をだすような女です」
「出た時には休めばいい。そうでない時には、穏やかに笑っていればいい。そして、外に出るのです。――青い空と、緑の森と、そして、人々の笑顔と。私は、貴方にそれを見せたい」
外。
私はほとんど外に出たことはない。
数度、中庭にまで出たことも、幼い頃にはあったが、すぐに疲れて閉まって部屋に戻された。
国がざわつきはじめてからは、出ないようにと言いつけられてきた。
「そ、と……」
「ええ。外の世界です。――我が妻として、さあ、共に」
差し出された手は、大きく、広く。
無意識のうちに伸ばした手は、すぐにその手に包まれて、ひきよせられる。
――そうして、私は。
狭い狭い、王城という名の鳥かごから、広い世界へと、歩み出す。
――彼の騎士の、妻として。
遠い遠い、昔のお話。
遠い遠い、よその世界での、物語。
幼い子どもの前だからと、口さがない侍女が漏らした言葉は、おそらく、その頃、城に務めていた多くの人が感じていたことだったのかもしれない。
Room 7005 - Pacific Princess / Haydn Blackey
何か大きな病をもっているわけじゃない。
酷く病弱、というわけでもない。
けれど、気がつくと熱がでてることが多くて、わたしは、昼下がりをよく、夢うつつに過ごす。
ざわざわと聞こえる部屋の外の喧騒を子守唄に、とろとろとしたまどろみの中で、わたしは、半ば夢をみているようなここちで、とろとろと溶けて消えてしまいそうな、暖かな幸せのなかに、たゆたうのだ。
その穏やかな幸せと、微かなさみしさと、幼い頃からずっと一緒だった私は、年を経てオトナになった今でも、同じように、昼下がりのひとときを、とろとろとしたまどろみの中に、生きているのだった。
それを哀しい、と、思ったことはない。
私は、こうして生きていて、少なくとも酷い苦痛の中にあるわけではなく、けれど、とろとろとした穏やかな時間の中を過ごせることが、何よりも幸せだと、どこかでわかっていたからだ。
――外で、何が起こっているのか貴方にお分かりか。
――貴方に外の苦しみが、少しでもお分かりになるのか。
面と向かって、布団から起き上がれぬ私にそういった人が、ひとりだけいた。
そのものの姿すら見なくなって、もうどれほどがたつのか。
私の世話をしてくれる年老いた女官と二人、城の中の部屋では質素とも言える部屋の中で、ひっそりと、ただ、本を読み空を眺め、物心ついた時より暮らしてきた。
――亡くなった、王妃の娘。
――既に失われた国の、遺児。
そんな立場の私を、おそらく城の人たちは持て余していたのだろう。
それでも、元気であるならば、何か手伝うこともできただろうし、政略のコマとして使うこともできたはずだ。
父王も、母さまのあとに正妃になられた方も、けして私を蔑ろにしていたわけじゃない。
けれど。
母さまのお国が失われてしまったように、ちょうど、周辺諸国が騒がしくなっていて、国の舵取りと外交に、精一杯の時だったから。
姉様たちにも妹君たちにあったことはない。――みな、必要に応じて諸国へと嫁いで行かれた。
兄様たちにも弟君にもお会いしたことはない。――みな、それぞれの責務を抱えて、日々を過ごしておられる。
その中で、私一人、ひっそりと、昼下がりに夢うつつにたゆとうような生活をしていることが、果たして周囲にどれほど知られているのか。
ひっそりと静まり返った、城の端にある部屋の中、けれど聞こえる喧騒は、戦の終わりを告げるものか。
――最後の戦いがはじまると、聞いたのはいつだったか。
ひとりこの部屋に付けられ、それでも親身に世話をしてくれた女官が、ほろりとこぼした言葉を思い返す。
この国は、どうなったのか。
――民は、どうなったのか。
何も知らされぬままに、けれど、私はひとり、ただ、夢うつつの中を漂い続けるのだった。
いままでも、これからも。
それは、何も変わらぬはず、だった、のに。
扉が開く。
勢い良く明けられた扉に、驚いて視線を向ければ、ひとりの騎士の姿があった。
あれは、そう。
――外で、何が起こっているのか貴方にお分かりか。
――貴方に外の苦しみが、少しでもお分かりになるのか。
かの、騎士の姿。あの時以来の姿に、驚いて、ゆっくりと寝台から身を起こす。
この部屋に入ってこれるとは、どういうことなのだろう。
元々人が来ない部屋ゆえ、誰かが寝台のある部屋へと来ることは皆無に等しい。
かろうじてかの女官と、掃除に来てくれる下女が数名だろうか。
父上も、兄弟たちも来たことのないこの場所に現れた騎士は、まっすぐにその青銀の目を私に向けていた。
――どうして。
女性の部屋に、まして、仮にも姫と呼ばれているはずの私の部屋に、現れたひとりの男。この状況が一瞬理解できず、ただ、掛布を手繰り寄せてじっと視線を返す。
そして。
ひゅ、と、喉の奥がなる。
まさか。
まさか、何事かがあった、のだろうか。
何も言わずに私を見つめる彼の騎士に、すくみそうになりながらも口を開く。
「なにか、何か、父上に、国に、あったのですか……?」
その問いかけは、どうやら的外れでもあったらしい。一瞬驚いたように目を見開いた騎士は、一度瞬いたあと、唇を皮肉げに歪めるように笑った。
「なにも、いいえ、王にも国にも何事も無く。ただ――」
「……ただ?」
まっすぐに、騎士が、軽装の礼服姿で近づいてくる。短く駆られた金茶の髪がさらりと揺れ、窓からの光を反射して輝く。
「すべてが、最後の戦いが終わったのですよ」
す、と、ベッドのそばに来た騎士が、跪きながらそう告げて。
すべてが終わった。決着がついた、という事実に、僅かに頬に喜色が浮かぶのがわかった。
「まぁ……! ならば、みな、幸せに暮らせるのですね」
ふ、と、騎士が笑う。
「そうですね。――直ちに、は、難しいでしょうが、良い方向に向かうでしょう」
そして。
私が掛布の上に投げ出していた手を、騎士はそっと取る。
予想外の優しい仕草に、手をひくことも出来ずに驚いていれば、その手に、ひとつ、口づけが落とされた。
息を詰める私に、騎士は笑う。
「あのあと、王より将軍を拝命しまして、此度の戦に赴いておりました。戦勝の報奨を、お約束いただいた上で」
「――ほう、しょう?」
それが私となんの関係があるのか、わからぬまま、戸惑いのまま視線を向ければ。
くっ、と、どことなく意地悪さをにじませる笑い声を漏らし、騎士が告げる。
「ええ。――あなたを、我妻に。何も出来ぬ、何も知らぬ、姫よ」
息がつまる。何も知らぬ、何も出来ぬ姫。なのに、騎士は妻に、と、いう。
「な、ぜ」
戸惑いのままの言葉に、ふ、と、騎士は、それまでとは異なる笑を浮かべた。柔らかな、笑み。
「何も知らぬ何も出来ぬ、姫よ。私はあなたを、そばにおきたい。我が家ならば、貴方は何も出来ぬ姫ではなくなるでしょう」
王城であれば、私は姫でなければならず、姫であればなさねばならぬことを私には出来ない。
けれど、この騎士の妻であれば、私は、出来ぬことばかりではなくなるのだ、というのだろうか。
「――すぐに、熱をだすような女です」
「出た時には休めばいい。そうでない時には、穏やかに笑っていればいい。そして、外に出るのです。――青い空と、緑の森と、そして、人々の笑顔と。私は、貴方にそれを見せたい」
外。
私はほとんど外に出たことはない。
数度、中庭にまで出たことも、幼い頃にはあったが、すぐに疲れて閉まって部屋に戻された。
国がざわつきはじめてからは、出ないようにと言いつけられてきた。
「そ、と……」
「ええ。外の世界です。――我が妻として、さあ、共に」
差し出された手は、大きく、広く。
無意識のうちに伸ばした手は、すぐにその手に包まれて、ひきよせられる。
――そうして、私は。
狭い狭い、王城という名の鳥かごから、広い世界へと、歩み出す。
――彼の騎士の、妻として。
遠い遠い、昔のお話。
遠い遠い、よその世界での、物語。
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