[掌編]だから、僕らは
2012.09.18 Tue [Edit]

Freedom / Dazzie D
「自由、って、なんだろーね」
ぺったりと机にうつ伏せて、頬を貼り付けながら、彼女がいう。
「なに、突然」
ぱらり、と手の中の文庫本をめくる手を止めずに、僕は答える。
うつ伏せたままの彼女の視線が向かうのは、まっすぐに一直線。つられてそちらをみれば、確かに、この学校で一番の自由人と言われる男子生徒が、窓枠に腰をかけて、穏やかな顔で親友と呼ばれ同類と思われている男と語らっている。
気分次第で学校を休んではふらりとどこかへいってしまう。出席日数が足りなくて留年した、という噂もある。むしろ、それでも、普段はギリギリの出席日数で、けれどそれなりの成績を叩きだして、きっちりと枠の中にはまってその枠の中で息苦しい思いをしながら高校生活を送っているような僕らからみれば、彼はどこまでも自由に、自由すぎるほどに自由に、みえた。
「いいなぁ、彼は」
机にうつ伏せたまま、ぽつん、と、また彼女が呟く。
高校3年生ともなれば、もう受験真っ盛り。素直に学力のあった学校へ、希望する学校へ、と、みながそれだけを考えて前進する日々だった。そういえば、目の前のこの彼女は、進路で親と折り合いがつかないのだったか。芸術系を希望する彼女と、手堅い専門技術をみにつけられる大学への進学を勧める両親。なまじ成績がそれなりで、素行も悪くなかった彼女は、ここに来て、どうにも身動きが取れなくなっていた。
大学進学、など、結局は親のお金で行くもの。完全に自分の望みなど、通せるはずがない、と、彼女はどこかでそう思っているようで、うつ伏せた顔のまま、時折、深くため息を漏らしては、羨ましそうに彼をみつめていた。
「おまえだって、自由に、なればいいじゃん」
なんだか、彼女の視線が彼に向かうのが気に食わなくて、それでも、そんな感情を気づかれたくなくて、文庫本に視線を落としたまま、ぽつん、と呟く。
「えぇ。そんなんむりだってー。あの自由人でもないと、無理無理」
途端に、薄笑いとともに帰ってくる返事に、眉が寄る。無理、なんだろうか。本当に? そんなに彼は、自由奔放な、誰にもできないことを、しているのだろうか。
「……そもそも、彼は、自由、か?」
眉を寄せたまま、本から顔を上げれば、僕の声音を不自然に感じたのか、ゆっくりと机から体を起こした彼女がこちらを不審そうにみていた。
「自由、でしょう? 誰の思惑にも縛られずに、自分の思いを貫き通してるんだから」
なにいってるの、とばかりの彼女の言葉に、更に眉をしかめてしまう。
自由。彼はすべてを振りきって、思うままに前に進んでいる。
けれど。
「でも、それって、自分で責任をとってる、ってことだよな」
「……え」
「自分で、自分の起こした行動の責任を、その行動のもたらす結果を受け入れて、責任を持っている、ってこと、なんだよな」
とうとうと、呟いて、ずれてきためがねを、指でそっと、ずらす。
それは、とても自由だけれど、反対に、僕らの年代の、まだモラトリアムな、子供でいたい僕らにしてみれば、とても、とても、厳しいことなんじゃないだろうか。
そんな風におもって、じっと彼女を見つめる。
「え。えええ。そ、ういうことに、なる、の、かな?」
彼女とて、頭が悪いわけじゃない。自由だけど、自由な分だけ庇護がない彼の状況、というのを、次第に理解したのか、僅かに顔をしかめていた。
そう、彼は、自分の思うがまま、望むままに、生きている、ように、僕らには見える。けど、僕らがそうしようと思った時、例えば、親や教師や、とにかく周囲の大人たちの、反応だとか、反対だとか、制限だとか、更にいうならば、同級生たちの反応だとか、そういったものを考えて、さらに言えばそれに負けて、貫き通すことが出来ないのが、ほとんどだ、と思う。
もっと、自由だと思ってた。好きなことを好きなようにして、生きている、と、僕らも、ずっとそう思っていた。けれど、それは、あくまでも決められたレールの上で、決められた「正しい」枠の中で、はみ出ないで生きていく「自由」であって、そこからはみ出した時、本当に望むことがその外側にあった時、それを選ぼうとしたら、一気にそれは瓦解する。
――僕らは、決められた枠の中で、まっすぐに育っていく。
それが、悪いことだとは思わない。未成年という立場で、高校生という特権をもち、その許される範囲内で、「最近の若いものは」などと言われながらも、その行動もある程度の予測の範囲内で生きていく、そんな毎日も、モラトリアムで、穏やかで、悪くはない、と、思う。
でも。
「自由になるのは、難しいことじゃないよ。覚悟すればいい。目標だけをみればいい」
そうだ。本当に希望するならば、本当に望むことならば、どれほどの反対を受けようと、その道を選ぶことが、できる。
ただ、僕らは、迷うのだ。失敗した時に「ほらみなさい」と言われるかもしれないという不安から、こんこんと、うまくいくはずはないと言い聞かせられる、道理がわかってる大人、という立場の人間からの、言葉に。
「……結構、厳しいこと、いうよね」
ほろ苦く笑った彼女は、一度ため息をつくと、前髪をかきあげた。夕方の図書室、夕焼けの中で、彼女の表情はドキッとするほど大人っぽく見えた。ああ。そうだ。彼女は、もう、たったこれだけの時間で、ほんの少しの時間で、覚悟をみめたのかもしれない。――否、「覚悟を決める」覚悟をした、というところか。
「そうかな。うん。そうだよね」
僕自身は、まっすぐにレールにしたがって生きていくつもりで、元々望んでいたこともそのレールから外れることのないことだから、もしかすると、人ごとだと思って簡単にいってしまってるのかもしれない。自分のことじゃないから、こんなふうにいえるのかもしれない。――だけど。
「うん。分かった。いや、たぶん、わかってたんだ。でも、言い訳してたんだ。親が反対するから、とか、将来的にどうこう、とか。やりたいけど、失敗するかもしれない不安から、そんな周りの言葉を言い訳にして、自分が楽な方に逃げてたの、かも」
自分の内側を、ひとつひとつ、確かめるように言葉にして、彼女はそっと、微笑んで。
「うん。ありがと。なんか、わかった気がする」
顔をあげた彼女のその時の表情が、忘れられなくて。もしかすると、あの時の彼女の、あの潔い晴れやかな、覚悟を決めたあの顔に、僕は、あの時いまさらのように、ただのクラスメイトだったはずの彼女に、惚れてしまったのかもしれない。
そして、僕らは、モラトリアムな時期を通りすぎる。昔を思い出して、少しだけ恥ずかしくなったり、懐かしく思うようになったり、そんな頃、同窓会が開かれた。
僕らの年代は、成績が悪いわけでも、素行がめちゃくちゃ悪い人間がいるわけでもなかった。けれど、後年になっても、しみじみと先生たちが語るのだ。――問題児の多かった、ものすごく手を焼かされた学年だった、と。
かの自由人を皮切りに、その友人、そして、自然と彼らの周りに、図書館がなぜか本拠地だったけれど、底に集まった連中、と。
それだけにとどまらず、なぜか、僕らの学年は、その多くが、「決められた、自分の偏差値でいける最高の学校」ではなく、たとえ教師と親と揉めようとも、「自分の生きたい学校」を、選び取ろうとした。それは、本当は何もおかしな事じゃなくって、別に大きな抵抗だったわけじゃない。激しく揉めたわけじゃない。けれど、それは、今までの他の年代であればそれなりにいればよかったそんな人間が、学年のほぼ全員という恐ろしい事態にまで発展したことで、このとき、先生はちょっとばかり過労死してしまうんじゃないかと思ったらしい。
――まあ、そんなふうに語る先生も、何年も過ぎた今、この同窓会で告げるその顔は、どこか懐かしげでありながら、誇らしそうであったのだけれど。
そして。
かの自由人は、その自由さのままに、ひとりの後輩を捕まえた、とか。その自由人の親友なる男は、何やらこの同窓会で、妙にとある後輩のそばから離れないな、とか。そんな話題を提供されながら、ゆっくりと、壁の花に(男にもその表現が許されるのならば、だ)僕は、なっていた。
壁際で、みなの様子を眺めるのが楽しく、グラス片手に、人間観察のような気分で、さざめく人間をみつめていた。
会えるとは、否、声をかけてくれるとは、思わなかった。
「やっほ。久しぶり」
鮮やかに笑う彼女は、今、ほどほどに有名でも無名でもない、けど、なんとか食べていくだけのしごとはある、イラストレーターなるものになっているらしい、と、友人たちからの便りの中でちらりときいた。この同窓会も来られるかどうかはわからない、と。
「やあ。元気そうだね」
片手を上げてこたえれば、ふふふ、と、楽しげに笑った彼女が、ちらり、と、かの自由人――同窓会に来ている彼は、海外ボランティアの帰り道らしい――をみて、それから、こちらをみた。
そして、艶やかにつややかに、笑ったのだ。あの、僕が、惚れた笑顔で。
――さて。
あの時と同じ笑顔の、あの時よりもより一層、自信と決意と覚悟に満ちた艶やかな彼女を、目の前にして、僕は、そっと笑う。
あの時から好きだった、と、伝えたら。
果たして君は、今度はどんな顔をみせてくれるのだろうか、と。
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