[メモ]「マニュアル通り」のもたらした切なさ
2012.09.12 Wed [Edit]

鴛鴦夫婦 / masahiko
回るお寿司屋さんにいった。
母と私と、子供たちと、出かけた。
嬉しいばかりの子供たちははしゃぐ。
隣の席の老夫婦が、それを見て微笑んでくれていたので、お騒がせしてすみません、と、謝った。
そりゃ寿司なんて嬉しいからはしゃぐのは当たり前だよ、と、おじいさんがいってくださった。
優しさが嬉しかった。
注文して待っていると、何やら隣がおかしい。
みると、注文方法が分からなかったらしい。
ここの寿司屋は、早い時間だと寿司が回ってない。
タッチパネルで注文する形式なのだけれど、それがわからなかったらしい。
お店の人は、お客様の注文を聞いて、その場にあるパネルを操作して注文を通そうと、していて。
おじいさんたちは、そんなん手間かけさせたら申し訳ない、と、お店をでようとしていた。
それをみて、なんだか切なくなった。
他の、別系列の回るお寿司屋サンでは、口頭で注文しても通してくれることが多い。
普段行くところと違うので、一概にはいえないけれど、ここのお店はそれができなかったのか。
タッチパネルで、と、必ずそれでしか、だめだったのだろうか。
子供の世話をしながら、再び目を上げれば、先ほどの二人は既にお店に居なかった。
なんだか、切なくなった。
なんだか、悲しくなった。
大したことじゃない。
別に、あの老夫婦は喧嘩ごしでもなかったし、いいよいいよ、と、遠慮して出ていった風だった。
だからこそ、切ない。
誰だって年をとる。
ネットに馴染みが深く、新しい機械に触れる機会が多い私達も、もしかしたら将来、自分らには理解の及ばない何か、ができて、同じように戸惑うこともあるかもしれない。
マニュアル通りの対応は、間違ってはいないのだろう。
けれど、マニュアル通りしかない世界は、とても切ないように思う。
お寿司を食べながら、ぼんやりと、そんなふうなことを考えた日だった。
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