[掌編]6月の花嫁
2012.05.18 Fri [Edit]
幼い恋心が、果たしてどれほど真実の思いを含んでいるのか、なんて、わからないけれど。
まっすぐに、思い続けた心だけは、偽りなく真実なのだと、思っている。
6月の花嫁が幸せになる、なんて、誰がいったのか。
確か、JUNEの語源がゼウスの嫁の妻のヘラだったとかなんとか。
嫉妬深い神様が婚礼を祝福するとは、なんとも皮肉な話だ。
いっそ雨になればいい、と、悪あがきの様に思いながらも、けれど、珍しく晴れた今日、その空の青に、安堵する自分もいる。
――彼女の旅立ちに、雨は似合わない。
「おめでとう」
そっと声を掛けれれば、驚いたように純白のドレスに身を包んだ彼女が振り返る。
ぱっ、と、破顔した彼女は、綺麗に整えられていつもより一層美しく見えた。
「っ、ありがとう! 来てくれたのね、お兄ちゃんっ」
兄、と、まだ呼んでくれる彼女の優しさが、嬉しいと同時に切なくて、そっと微笑むことで誤魔化す。
――血の繋がらぬ妹よ。
どうか、幸せになっておくれ、と。
遠い昔に封印した、幼い恋心に、別れを告げた。
「あなたの妹よ」
そういって連れられてきたのは、とても痩せっぽちでガリガリで、どこか怯えたような目をした女の子だった。
小学校の中学年、ちょうど生意気さかりだった僕は、その女の子の存在がよく分からなくて、戸惑い、ふーん、と、返事しただけだったように思う。
その当時はまったく事情などわからなかったが、どうやら母の友人の娘であるらしく、仲良くしてね、と、言われた。
成長してから聞いた話では、その友人は夫からのDVに耐え切れずに娘を連れて逃げ出し行政の保護をうけたものの、体を壊してなくなってしまったらしい。
施設に、と、いう話になったところで、母は父を説得。父も、事情と状況から、誰も親族の引き取り手のなかったその女の子を引き取ることを決意。こうして、彼女は、僕の妹になった。
――とはいえ。
それまで、一人っ子であり、もちろん厳しくはあったけれど親の愛情を独り占めしてきた僕にとって、降って湧いた妹は、どう扱っていいかもわからない、更には親の愛を奪い取る敵のようにすら思えていた。
いままでなら、声をかければすぐに返事してもらえた。けれど、今では時折、まってね、と、言われることが増えた。
もしこれが、小さい頃に生まれてきた妹ならば、また違ったのかもしれない。もしくは、もっと小さな子であったならば。
2つか3つしか違わない、今度小学校に上がる年頃だったその女の子は、育ちのせいもあってか、とても良い子だった。
そう、良い子だったのだ。手伝いをする、ワガママを言わない、じっとおとなしくしている。――その不憫さもあってか、余計に母は、その子に目をかけていたのだろう。もちろん、蔑ろにされたわけじゃない。いま思えば母は、両方を大事にしてくれていた。それでも、自分は不満だった。――お兄ちゃんでしょ、と、言われることの増えたその言葉が、とても不安だった。
そっと近づいてきては、そばで様子を伺うその子が、うっとおしかった。
少し優しくすると、嬉しそうにするその子が、苦手だった。
嫌いだ、嫌いだ、と、心で唱えながらも、それでも、外に出すにはちょうど半端な年頃ゆえのプライドで、つっけんどんになりはするものの、ただそれだけで。けれど、次第に、じわじわと不満が溜まっていっていた。
――何がきっかけだったのか、わからない。
「妹じゃない! 妹なんかじゃない、他所の子じゃないか!」
叫んだ次の瞬間には、頬に鋭い痛みが走っていた。
叩かれた、と、気づいたとき、ぎゅっと目頭が熱くなり、唇を噛み締める。
滅多に叩くことなんかない母が、叩いたという事実と、やっぱりその子の方が大事なのかという思いでぐちゃぐちゃになった気持ちで、零れそうになる涙をぐっと堪える。
母が口を開こうとした、そのとき。
うわぁぁぁぁん、と、つんざくような泣き声が聞こえて、そちらを振り返る。
そこでは、あの子が泣いていた。
小さな、女の子が。痩せっぽちだったのが少しだけふっくらして、ざんばらだった髪が整えられたあの子が、つんざくような声をあげて、ないていた。
驚いた。
今までどれほどつっけんどんに振舞おうと、道で転んでも、何があっても泣いたことのない、あの子が。
親と別れて、寂しいだろうに、一度も泣かなかったあの子が。
ぼろぼろぼろぼろと、大粒の涙をこぼしながら、声をあげてないていた。
慌ててそちらに母が駆け寄るのがみえたけれど、僕は、その子から目が話せなかった。
その子は、泣きながら、叫んでいたから。
「ごめんなさい、ごめんなさい、お兄ちゃん、ごめんなさいぃぃぃーっ」
その時の気持ちを、どういえばいいだろう。
本当は、解っていた。この子が悪いわけでもなんでもないんだ、と。別に母たちに自分が阻害されているわけではないんだ、と。
でも、ちょっとだけ、寂しかったから。
急に現れた存在に、両親を取られてしまうんじゃないか、と、不安になったから。
熱くなった目頭から、ぼろり、と、涙がこぼれる。
なんでお前がやまるんだよ。
なんで、怒らないんだよ。
なんで、なんで、なんで。
「――っ」
喉の奥でひきつるような声が漏れて、そうしたら、もうダメだった。
母に抱きしめられながらも、叫ぶように謝る声をあげながらこちらに必死に手を伸ばす、女の子――妹をみれば、もう、どうしようもなかった。
ぼろぼろ、ぼろぼろと涙が溢れる。
カッコ悪いとか、そんなの、もう、考えられなかった。
ひっく、と、声が漏れる。
必死で、袖で涙を拭う。何度も何度も。
母が、彼女を抱きかかえて、そばまでやってくる。
「おに、いちゃん」
必死で手を伸ばす彼女の手を、そっと掴む。
ぐにゃり、と、顔がゆがむのがわかった。
「――っ、ごめんなさいぃぃーっ」
うわーん、と、気がつけば声を上げて泣いていた。小さい子供のように、泣いていた。
つられるように妹も、泣いていた。大きな声で泣いていた。
母が、しかたがないわね、とでも言うように、二人を一緒にまとめてぎゅっと抱きしめてくれた。
――それが、僕の中で彼女が妹となった日。
彼女が、僕の宝物になった、日。
そして。
彼女に対して、慕わしい思いを抱くきっかけとなった、日。
けれど、外側からみれば、何が変わったわけでもなかった。
少しだけ会話が増えて、少しだけ兄妹のように会話するようになった。
その中で触れる彼女の姿に、じわり、じわりと何かが満たされるような幸せを、感じていた。
成長する中で、少女から女性へと、次第に変化を遂げていく彼女に、目を奪われた。
時折漏らすため息に、その吐息に、惑わされるような気がして。
次第に、妹に対するものではない強い感情が現れる現状に、このままではいけない、と、思うようになったのは、いつだったか。
大学進学を期に、家を出る、と告げた僕に、両親は反対しなかった。
――おそらく、どこかで彼らは気づいていたのかもしれない。
僕の、彼女への、その曖昧で強い感情の存在に。
出ていくと聞いた彼女は、驚き、何故? と僕に問いかけた。
一人暮らしがしたいからだと告げる僕に、ためらうように彼女が、私がいるから、と、問いかけてきた時、ふっと浮かんだのはあの幼い日の光景。
違うよ、と、笑い飛ばしたけれど、彼女の方をみることができなくて。
――彼女はただ、悲しげに、僕をみていた。
そして。
僕は、大学に進学し、就職した。
ほとんど法事などの時以外、年末なども実家に帰ることなく、日々を過ごした。
両親には連絡をいれていた。帰って来なさいよ、と、告げられる言葉に、曖昧に答えながら、日々勉強に遊びに、やがては仕事にと過ごしていた。時折挟まれる彼女の近況を聞くたびに、揺らぐ感情の存在が、僕を家に帰ることを止めていた。
――血は繋がっていない。
けれど。
彼女は妹なのだ、と、何度も自分に言い聞かせた。
そして、季節はめぐり。
いつからか、彼女の恋人の話題が、母の近況報告に混じり始め。
そして、結婚ということになったと、聞いた時。
僕は。
やっと、この思いから卒業できるのだ、と、不意にそう感じた。
――おめでとう。
――幸せになれよ。
そして、今日。
純白のウエディングドレスに身を包まれた彼女は、自らの選んだ相手と、結婚する。
親族席に座り、それを眺めて、思う。
彼女を思った気持ちは、恋であったのかどうか、わからないけれど。
けれど、間違いなく、そこに愛はあったのだ、と。
披露宴を終えてホテルに戻る。
まだ騒ぎ足りないらしい従姉弟連中に断って先に部屋に戻り、ネクタイを緩めた。
スマホを手に、ひとつの番号へ電話をかける。
やがて聞こえてきたのは、柔らかな女性の声。
深呼吸を、数度。そして、僕は告げた。
「――なあ、付き合ってくれないか」
伝わるのは呆れたような吐息。そして、小さな笑い声。
――今度はお兄ちゃんが、幸せになる番だよ。
優しい妹の声が、電話越しの吐息に重なって、消えた。
お題:「確かに恋だった」様 http://have-a.chew.jp/
「それは甘い20題」より 「13.吐息」
まっすぐに、思い続けた心だけは、偽りなく真実なのだと、思っている。
Wedding June 14 2008-6 / Andrew Morrell Photography
6月の花嫁が幸せになる、なんて、誰がいったのか。
確か、JUNEの語源がゼウスの嫁の妻のヘラだったとかなんとか。
嫉妬深い神様が婚礼を祝福するとは、なんとも皮肉な話だ。
いっそ雨になればいい、と、悪あがきの様に思いながらも、けれど、珍しく晴れた今日、その空の青に、安堵する自分もいる。
――彼女の旅立ちに、雨は似合わない。
「おめでとう」
そっと声を掛けれれば、驚いたように純白のドレスに身を包んだ彼女が振り返る。
ぱっ、と、破顔した彼女は、綺麗に整えられていつもより一層美しく見えた。
「っ、ありがとう! 来てくれたのね、お兄ちゃんっ」
兄、と、まだ呼んでくれる彼女の優しさが、嬉しいと同時に切なくて、そっと微笑むことで誤魔化す。
――血の繋がらぬ妹よ。
どうか、幸せになっておくれ、と。
遠い昔に封印した、幼い恋心に、別れを告げた。
「あなたの妹よ」
そういって連れられてきたのは、とても痩せっぽちでガリガリで、どこか怯えたような目をした女の子だった。
小学校の中学年、ちょうど生意気さかりだった僕は、その女の子の存在がよく分からなくて、戸惑い、ふーん、と、返事しただけだったように思う。
その当時はまったく事情などわからなかったが、どうやら母の友人の娘であるらしく、仲良くしてね、と、言われた。
成長してから聞いた話では、その友人は夫からのDVに耐え切れずに娘を連れて逃げ出し行政の保護をうけたものの、体を壊してなくなってしまったらしい。
施設に、と、いう話になったところで、母は父を説得。父も、事情と状況から、誰も親族の引き取り手のなかったその女の子を引き取ることを決意。こうして、彼女は、僕の妹になった。
――とはいえ。
それまで、一人っ子であり、もちろん厳しくはあったけれど親の愛情を独り占めしてきた僕にとって、降って湧いた妹は、どう扱っていいかもわからない、更には親の愛を奪い取る敵のようにすら思えていた。
いままでなら、声をかければすぐに返事してもらえた。けれど、今では時折、まってね、と、言われることが増えた。
もしこれが、小さい頃に生まれてきた妹ならば、また違ったのかもしれない。もしくは、もっと小さな子であったならば。
2つか3つしか違わない、今度小学校に上がる年頃だったその女の子は、育ちのせいもあってか、とても良い子だった。
そう、良い子だったのだ。手伝いをする、ワガママを言わない、じっとおとなしくしている。――その不憫さもあってか、余計に母は、その子に目をかけていたのだろう。もちろん、蔑ろにされたわけじゃない。いま思えば母は、両方を大事にしてくれていた。それでも、自分は不満だった。――お兄ちゃんでしょ、と、言われることの増えたその言葉が、とても不安だった。
そっと近づいてきては、そばで様子を伺うその子が、うっとおしかった。
少し優しくすると、嬉しそうにするその子が、苦手だった。
嫌いだ、嫌いだ、と、心で唱えながらも、それでも、外に出すにはちょうど半端な年頃ゆえのプライドで、つっけんどんになりはするものの、ただそれだけで。けれど、次第に、じわじわと不満が溜まっていっていた。
――何がきっかけだったのか、わからない。
「妹じゃない! 妹なんかじゃない、他所の子じゃないか!」
叫んだ次の瞬間には、頬に鋭い痛みが走っていた。
叩かれた、と、気づいたとき、ぎゅっと目頭が熱くなり、唇を噛み締める。
滅多に叩くことなんかない母が、叩いたという事実と、やっぱりその子の方が大事なのかという思いでぐちゃぐちゃになった気持ちで、零れそうになる涙をぐっと堪える。
母が口を開こうとした、そのとき。
うわぁぁぁぁん、と、つんざくような泣き声が聞こえて、そちらを振り返る。
そこでは、あの子が泣いていた。
小さな、女の子が。痩せっぽちだったのが少しだけふっくらして、ざんばらだった髪が整えられたあの子が、つんざくような声をあげて、ないていた。
驚いた。
今までどれほどつっけんどんに振舞おうと、道で転んでも、何があっても泣いたことのない、あの子が。
親と別れて、寂しいだろうに、一度も泣かなかったあの子が。
ぼろぼろぼろぼろと、大粒の涙をこぼしながら、声をあげてないていた。
慌ててそちらに母が駆け寄るのがみえたけれど、僕は、その子から目が話せなかった。
その子は、泣きながら、叫んでいたから。
「ごめんなさい、ごめんなさい、お兄ちゃん、ごめんなさいぃぃぃーっ」
その時の気持ちを、どういえばいいだろう。
本当は、解っていた。この子が悪いわけでもなんでもないんだ、と。別に母たちに自分が阻害されているわけではないんだ、と。
でも、ちょっとだけ、寂しかったから。
急に現れた存在に、両親を取られてしまうんじゃないか、と、不安になったから。
熱くなった目頭から、ぼろり、と、涙がこぼれる。
なんでお前がやまるんだよ。
なんで、怒らないんだよ。
なんで、なんで、なんで。
「――っ」
喉の奥でひきつるような声が漏れて、そうしたら、もうダメだった。
母に抱きしめられながらも、叫ぶように謝る声をあげながらこちらに必死に手を伸ばす、女の子――妹をみれば、もう、どうしようもなかった。
ぼろぼろ、ぼろぼろと涙が溢れる。
カッコ悪いとか、そんなの、もう、考えられなかった。
ひっく、と、声が漏れる。
必死で、袖で涙を拭う。何度も何度も。
母が、彼女を抱きかかえて、そばまでやってくる。
「おに、いちゃん」
必死で手を伸ばす彼女の手を、そっと掴む。
ぐにゃり、と、顔がゆがむのがわかった。
「――っ、ごめんなさいぃぃーっ」
うわーん、と、気がつけば声を上げて泣いていた。小さい子供のように、泣いていた。
つられるように妹も、泣いていた。大きな声で泣いていた。
母が、しかたがないわね、とでも言うように、二人を一緒にまとめてぎゅっと抱きしめてくれた。
――それが、僕の中で彼女が妹となった日。
彼女が、僕の宝物になった、日。
そして。
彼女に対して、慕わしい思いを抱くきっかけとなった、日。
けれど、外側からみれば、何が変わったわけでもなかった。
少しだけ会話が増えて、少しだけ兄妹のように会話するようになった。
その中で触れる彼女の姿に、じわり、じわりと何かが満たされるような幸せを、感じていた。
成長する中で、少女から女性へと、次第に変化を遂げていく彼女に、目を奪われた。
時折漏らすため息に、その吐息に、惑わされるような気がして。
次第に、妹に対するものではない強い感情が現れる現状に、このままではいけない、と、思うようになったのは、いつだったか。
大学進学を期に、家を出る、と告げた僕に、両親は反対しなかった。
――おそらく、どこかで彼らは気づいていたのかもしれない。
僕の、彼女への、その曖昧で強い感情の存在に。
出ていくと聞いた彼女は、驚き、何故? と僕に問いかけた。
一人暮らしがしたいからだと告げる僕に、ためらうように彼女が、私がいるから、と、問いかけてきた時、ふっと浮かんだのはあの幼い日の光景。
違うよ、と、笑い飛ばしたけれど、彼女の方をみることができなくて。
――彼女はただ、悲しげに、僕をみていた。
そして。
僕は、大学に進学し、就職した。
ほとんど法事などの時以外、年末なども実家に帰ることなく、日々を過ごした。
両親には連絡をいれていた。帰って来なさいよ、と、告げられる言葉に、曖昧に答えながら、日々勉強に遊びに、やがては仕事にと過ごしていた。時折挟まれる彼女の近況を聞くたびに、揺らぐ感情の存在が、僕を家に帰ることを止めていた。
――血は繋がっていない。
けれど。
彼女は妹なのだ、と、何度も自分に言い聞かせた。
そして、季節はめぐり。
いつからか、彼女の恋人の話題が、母の近況報告に混じり始め。
そして、結婚ということになったと、聞いた時。
僕は。
やっと、この思いから卒業できるのだ、と、不意にそう感じた。
――おめでとう。
――幸せになれよ。
そして、今日。
純白のウエディングドレスに身を包まれた彼女は、自らの選んだ相手と、結婚する。
親族席に座り、それを眺めて、思う。
彼女を思った気持ちは、恋であったのかどうか、わからないけれど。
けれど、間違いなく、そこに愛はあったのだ、と。
披露宴を終えてホテルに戻る。
まだ騒ぎ足りないらしい従姉弟連中に断って先に部屋に戻り、ネクタイを緩めた。
スマホを手に、ひとつの番号へ電話をかける。
やがて聞こえてきたのは、柔らかな女性の声。
深呼吸を、数度。そして、僕は告げた。
「――なあ、付き合ってくれないか」
伝わるのは呆れたような吐息。そして、小さな笑い声。
――今度はお兄ちゃんが、幸せになる番だよ。
優しい妹の声が、電話越しの吐息に重なって、消えた。
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「それは甘い20題」より 「13.吐息」
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