[メモ]「普通」なんて、本当は存在しないような気がするのです。
2012.04.29 Sun [Edit]
「普通」ってなんだろう。
「普通」ってなんだろう。「普通である」とは、どういうことなんだろう。
それは、私にとって永遠のテーマでもあります。
普通だから、と、みんなが言ってるのを聞きながら、私は普通だけど普通じゃない、と、思って来ました。
持病がある。珍しいけど、極端に希少な病気でもない。
けど、ちょっとタイプが特殊。でも、症状は軽い。
そんな、ちょっと普通じゃないところもあるけれど、それでも普通に生きている(つもりの)私が考える、「普通」についてのお話、聞いてください。
「普通」なんてものは存在しない
私はいつも思うのです。「普通」なんていうものは、本当は存在しないのではないか、と。
普通を定義するならば、平凡でしょうか。平凡とは、どういうことでしょうか。いうなれば、普通とは平均的であること。
けれど、平均は、その統計を取る母体次第で、位置を変えるのです。
地元では普通のことでも、地元を離れたら普通じゃなかった。
中学では普通だったけど、高校では普通じゃなかった。
環境、年齢、状況、立ち位置。このすべての兼ね合いで「普通」というのは決まるのではないでしょうか。
そんなことを、割りと長い間考えていました。
ひとつひとつを取りあげるから「普通」に見える
そんな時、アシタノレシピ -明日を楽しくするレシピ集-を読んでいて、素敵な記事に出会いました。
「私、普通のことしか出来ないんですよ~」という人がいます。 だから、特別なことなんて何も出来ません、っていう人が。 ちょっと待って下さい、それ、本当に「普通」でしょうか? 単体で見るから、普通に見えているのではないでしょうか? ...
これだ! と、思いました。
ひとつひとつの事柄は、普通なんです。
その人を構成するひとつひとつの事柄だけを取り上げれば、確かに、それは普通のことなんです。
オタクである、シングルマザーである、など、ちょっと普通じゃないかなとおもわれることを上げたとしても、そんな人、そこら中にいくらでもいるわけで、自分だけが特別にそうであるわけではないんです。
文章を書いてることも、本を読むのが好きな事も、写真を取るのが好きな事も、それらのすべてどれも「単体では普通」なのです。だから、人は、そして私は「ああ、私って特に何かがあるわけでもない、取り柄なんてないありふれた存在なんだ」と、思ってしまうのです。
でも、上の記事で、山本さをん(@sawonya)さんは、「普通×普通からちょっと普通でないが生まれる」と、タイトルの通りのことを提案してくださってます。
ひとつひとつを取り上げれば、自分を表す言葉のどれもが、ごくありふれた言葉になってしまうでしょう。
けれど、普通なところをひとつ、ふたつと重ねれば、それは少しだけ普通から逸脱していきます。
そうして、重ね合わせるうちに、自然と「自分」というものがくっきりと、してくるのではないでしょうか。
それはきっと、貴方の支えになる。
そして、少しだけ普通じゃない、「自分」という個性をもった存在として認識することができたとき。
それは、貴方にとっての「強み」であり、「支え」になるのではないでしょうか。
生きていく上で、人と関わる上で、人生を楽しむ上で、その支柱となるのではないでしょうか。
自分のちょっとだけ違う部分は、ブログを書くにしろ何かを為すにしろ、貴方の支えになります。
そのことを知っていれば、ある程度自分の中で妥協したり、逆に開き直ったりすることも出来るようになります。
自分を表現する普通をかけ合わせて、少しだけふつうじゃない部分を見つけてみたら、創作であれブログであれ、趣味であれ、より一層楽しめるのではないでしょうか。
そんな風に思った、私なのでした。
一病息災家庭円満?な、文章中毒な夕花より、愛をこめて。
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