5.眠る美しさよ永遠に
2011.12.14 Wed [Edit]
「よき方を娶られましたな」
重畳重畳とほほ笑みながら頷く老人どもの姿に、顔が引きつる。執務室でいつものように執務を取るひと時、決裁事項を携えて現れるものどもが皆、似たような言葉を吐くのだけれど、その表情は千差万別、どこか苦みを隠すもの好奇心旺盛なもの、そして、この老人どものように満足げでどこか楽しげなもの、さまざまだった。一番たちが悪いのはこやつらだろうと、つくづくわが身の不幸を嘆く。否、あの姫を娶ること自体を不幸とは思わない。最良の条件であるには間違いないのだが、どうにもこうにも、思惑やら色々やらが垣間見えて、心安くない。許されるのならば、もっと野の花のような優しい女性がいないものか。まぁ、そのような女性がいたところで、王の後宮の女狐たちにとって食われるのがオチなのだが。
姫がこの国に訪れてより半月、日々の執務に追われながらの正式な婚姻の儀式は、さまざまもろもろの事情を鑑み、残りひと月となっていた。本来王族の婚儀であれば半年やら一年やらをかけるのもおかしくないことなのではあるが、警護を任された子飼いの騎士いわく、もっと早くしていただいてもいいくらいです、とのこと。子飼いとなっている者たちはとても優秀で、忠義に厚い。時折向けられるまなざしがどこか同情のように見えるのは気のせいだと思う、気のせいにしておく。忠義ではなく同情で仕えられているとなってしまえば、なんだかいろいろ自信喪失して立ち直れなさそうである。そして、姫との関係は、といえば、日々食事を共にし、時折庭園などを伴い歩き、稀に晩餐に出席しながら双方がそれぞれに、婚儀の準備に追われていた。そのなかで、彼は、理性では最良と理解しながらも、胃の痛みと憂鬱さが蓄積されるのを悟らずにはいられない日々を送っていた。
――あれからも、姫と女狐たちの勝負は、日々続いている。
姫とは、日々の晩餐を共にし、執務の合間にお茶の時間や庭園への散歩など、さまざまな場で時間を作っては会うようにしている。日々護衛の騎士たちのやつれていく様に、一度は会うのを控えようかと進言したが、どちらにしてもかわらないからと、力なく答えられてはそれ以上何も言えない。王に進言するも分かったと頷くばかりでこれと言って手ごたえもなく、晩餐の際は徹底しているからかそうないものの、茶会の折り、さらには庭園などをそぞろ歩きしていれば、まだまだ色々と弁えぬ者たちの差し金で、いろいろと襲撃は絶えない。さすがに隣国の姫を娶るというのにこのままではどうだろうかと、いろいろと手を尽くすのだが、こちらには芳しい報告は上がってこない。
しかし、この姫は、さすがというか強かというか――豪胆な姫であることに違いはないだろう。襲撃の際、おびえた様子で儚げにこちらに頼る様は、守らねばと庇護欲をそそる風情でありながら、ひとたび周りの眼がなくなると、がらりと空気が変わる。姫自身も国から差し向けられたごくわずかな護衛のほかに、何やら一方ならぬ空気を漂わせる影を持っているらしく――その中に以前彼を狙った刺客がいたことにはおどろいたが――彼らの働きもはっきりと視覚はできないがめざましいものであるとは報告を受けていた。姫は、ひっそりと傍付きの侍女と言葉を交わし、何やら彼女なりに手を打っている様子で、その詳細が気になりはするが、こちらに害をなさぬという確約はとれていることと、彼女の強かさに、胃が痛い思いをさせられながらもどこか惹かれている自身も自覚して、彼は、見守るだけの状況であった。
どうにかしなければならない、だけれども、上手く事が進まない。けれど時は、執務は待ってくれず、焦燥と憂鬱の中で両方の天秤を揺らされながら、彼はキリキリと痛む胃をさすりながら、日々を送っていた。
「なにも心配なさることはありませんわ。私は負けるつもりはないと、何度も申し上げておりますとおり。すべてうまくいかせてみせますから、心安らかにお過ごしくださいませ」
お茶の時間、どこか顔色の悪い彼に対し、姫はそうほほ笑む。その言葉通り、今までの晩餐や夜会にて、他の側妃やその親族からかけられる嫌味の言葉にも仕掛けにも、彼女はひとつたりともひっかかりはしなかった。それどころか、時には儚げに涙を浮かべてみせ、嫌味を仕掛けた相手を見事に悪役へと仕立て返して見せた事すらあった。確かに、彼女の言う通り、負ける勝負をするつもりはないのだろう。彼女のそのはかなげで柔らかにみえる美貌うらはらに、彼女はしっかりとこちらの国の状況や貴族たちの状況を調べ上げており、その持つ知識で鮮やかに行動してみせた。
その頭脳と、美貌と、かの国での寵愛具合を考えるに、何故この国に、何故わが身にと、嬉しいと思うよりも先に、恐れが先立つのは、何故なのだろうか。
相変わらずの憂鬱さと、振り回されるその環境に、思わず壁に向かってため息をつけば、ずっと機嫌のいいままの側近が、呆れたように告げる。
「何がそんなにご不満なのです。あれほどの方を娶られるというのに」
その言葉に、ぷちん、と、糸が切れた。
「不満? 不満なぞないさ、ああ、これっぽっちも不満などあるものか。ただ、ただ、あの時、家出できてればこんな思いなぞすることなかったのにとか、狐と狸の大戦争かよフザケンナとか思っていやしないさ。ああそうさ、知ってるか、狸ってのは姫のことじゃあないぞ、今まで気づかなかった俺が馬鹿なのか、愚かなのか、それとも親だからと盲信しすぎていたのかはわからないがな、あのくそ親父、見事な狸じゃねぇか。知ってるぞ、お前も一枚かんでやがるだろう。あの姫が来てから、どうも親父と接触してやがるようだとおもったら、案の定、だ。フザケンナ、俺が頑張ってきたもんをなんだと思ってやがる。あーあー、どうせ役にたたねぇ間抜けな王太子ですよ、ダメ王太子ですよ、だから家出してやるっつってんだろーがよ。全くどいつもこいつも、俺は決められたことを繰り返すのは得意だがそれ以上はきびしいんだっつーの。親父殿が昔しっかり整備したこの国の基盤があるからなんとかまわせてることくらい、それはさすがに気づいてたっつーの。なのになんだってんだよ、まったく、まったくよぉ……」
壁に向かって一気に呟けば、側近の顔が引きつるのが目の端に映る。しったことか、人前では王太子らしく振舞っているのだからこのくらい許しやがれと内心呟けば、くすくすと軽やかな笑い声が、執務室の入り口の方から響く。
振り返れば姫がいた。
……なにしてるんですかほんとうに。
「我が君さまには、かなりお疲れのご様子。お茶でもご一緒にいかがですか?」
あれだけの醜態を目の当たりにしながら、楽しげにほほ笑みそう誘ってくる姫に、どこか愕然とする。促されるままに席に着き、進められるがままにかぐわしい香の茶を口にすれば、いくらか心がほぐれる気がした。
「わが君さまは、頑張っておられます。頑張りすぎて少しばかりお疲れなのですわ。しかし、今しばらく、踏ん張ってくださいませ。きっちりと、すべてに白黒、カタつけてさしあげますから」
姫の口から出た言葉に、思わず目を瞬く。その彼の様子に気づいたか、姫は楽しげに、それはそれは楽しげにほほ笑んだ。
「すべてが片付きましたら、わたくしが、とてもとても楽しいことをたくさん、教えて差し上げますわ。そう、だから、もう少し、もう少しだけ、乗り切りましょう」
そういって差し伸べられる手に、無意識のうちに手が伸びる。そっとそのまま引かれ、隣り合ったソファに座っていた体が傾き、姫の膝の上に頭を乗せる形となる。
「……っ、これは」
「大丈夫です。人払いをしてございますから。ですから、今は少しだけ、おやすみくださいませ。ちゃんと起こして差し上げますから。少しだけお休みになって、そうしてもう一度、踏ん張ってくださいませ。きっと、きっと、楽にしてさしあげますから」
ゆるりと彼女の細く白い手が、彼の髪を梳くように撫でつける。ゆるりゆるりと繰り返されるその手つきに、長いこと不眠気味であった彼は、次第にとろりとろりと眠りに誘われてゆく。柔らかなその頭の下の感触が、姫からかおるその香が、その細い手の暖かさが、気にならないわけではなかったが――それよりも、もたらされる穏やかな眠りが、すべてに勝っていた。
「おやすみなさいませ、わが君。ひと時の安らぎを、美しきひとときの眠りを。――いずれそれを、穏やかで普遍な日常にするために」
穏やかな声音に誘われるまま、彼は静かに眠りへと落ちていった。
結論から言ってしまおう。
彼女との婚姻は、間違いなく、彼にとって幸いであっただろう。こののち、婚儀までに繰り返された襲撃は次第に減ってゆく。そして、婚儀を間近に控えたある日、王と側妃、そして貴族たちの控える前で、姫はその証拠を証言者と共に差し出したのだ。王はその進言を受け入れ、第三妃以下のものをその罪状により幽閉もしくは蟄居とし、また、その身内も財産没収などの処罰を与えられた。第一・第二妃に関しては、姫と初めに対面した時より何やら行動を潜めており、全くその動向がつかめていなかったのだが、のちに、その婚儀の前の大処罰の件で王と会話した彼は、すべての真実を知ることとなる。――つまりは、王が狸であった、ということなのだが。
第一、第二妃は、確かに権勢への愛着がなかったわけではないが、あれでもどうやら王を愛していたらしく――初めの姫との対面の際に、姫への手出しの危険性を悟った彼女たちに、王が直々にそれぞれ声をかけたことで、行動を改める方向となったようだ。――そんなことができるのならば、最初からやってほしかった、と、思ってしまうのは間違いではないだろう。それが表情に出ていた彼に対し、王は食えない笑いでこう答えた。――そなたが王太子にふさわしくなければ、そうしたであろうよ、と。
そうして、彼は、姫を娶る。盛大な婚儀ののち、彼は静かに問いかけた。
「なぜ、私を選んだのですか」と。
彼女は、それはそれはあでやかに、幸せそうにほほ笑みながら、楽しげに答えたそうだ。
「何よりも勝ち目が多く、それに、どなたより誠実そうでいらしゃったから、ですわ」
さて、このお話、このあたりでおしまいにしたいと思う。
彼と彼女がそれからどうなったのか、少しだけお話するならば、そう、かの王国では、その後、即位した新たな王は堅実さで知られ、またその側には美しく優しい王妃がよりそっていたとのこと。
そして、その国の下町では、時折、それはそれは美しく艶やかな美女と、どこか自信なさげな美貌の青年のコンビが、共に楽しそうに過ごしている姿が見られるようになったとか。
これは、とある国のとあるお話。少しばかりノイローゼだった王子様と、とっても賭け事が大好きなお姫様の、そんな二人の秘密のお話。
ノイローゼだった王子様は、少しばかりふりまわされて胃が痛む日々を送りつつも、日々穏やかに眠れる夜を、手に入れたのでした。
fin
-------8×-------- 8× -------- キリトリセン --------8×-------- 8×--
サイト名:確かに恋だった
管理人:ノラ
URL:http://have-a.chew.jp/
携帯:http://85.xmbs.jp/utis/
「歪んだ童話5題」より
重畳重畳とほほ笑みながら頷く老人どもの姿に、顔が引きつる。執務室でいつものように執務を取るひと時、決裁事項を携えて現れるものどもが皆、似たような言葉を吐くのだけれど、その表情は千差万別、どこか苦みを隠すもの好奇心旺盛なもの、そして、この老人どものように満足げでどこか楽しげなもの、さまざまだった。一番たちが悪いのはこやつらだろうと、つくづくわが身の不幸を嘆く。否、あの姫を娶ること自体を不幸とは思わない。最良の条件であるには間違いないのだが、どうにもこうにも、思惑やら色々やらが垣間見えて、心安くない。許されるのならば、もっと野の花のような優しい女性がいないものか。まぁ、そのような女性がいたところで、王の後宮の女狐たちにとって食われるのがオチなのだが。
姫がこの国に訪れてより半月、日々の執務に追われながらの正式な婚姻の儀式は、さまざまもろもろの事情を鑑み、残りひと月となっていた。本来王族の婚儀であれば半年やら一年やらをかけるのもおかしくないことなのではあるが、警護を任された子飼いの騎士いわく、もっと早くしていただいてもいいくらいです、とのこと。子飼いとなっている者たちはとても優秀で、忠義に厚い。時折向けられるまなざしがどこか同情のように見えるのは気のせいだと思う、気のせいにしておく。忠義ではなく同情で仕えられているとなってしまえば、なんだかいろいろ自信喪失して立ち直れなさそうである。そして、姫との関係は、といえば、日々食事を共にし、時折庭園などを伴い歩き、稀に晩餐に出席しながら双方がそれぞれに、婚儀の準備に追われていた。そのなかで、彼は、理性では最良と理解しながらも、胃の痛みと憂鬱さが蓄積されるのを悟らずにはいられない日々を送っていた。
――あれからも、姫と女狐たちの勝負は、日々続いている。
姫とは、日々の晩餐を共にし、執務の合間にお茶の時間や庭園への散歩など、さまざまな場で時間を作っては会うようにしている。日々護衛の騎士たちのやつれていく様に、一度は会うのを控えようかと進言したが、どちらにしてもかわらないからと、力なく答えられてはそれ以上何も言えない。王に進言するも分かったと頷くばかりでこれと言って手ごたえもなく、晩餐の際は徹底しているからかそうないものの、茶会の折り、さらには庭園などをそぞろ歩きしていれば、まだまだ色々と弁えぬ者たちの差し金で、いろいろと襲撃は絶えない。さすがに隣国の姫を娶るというのにこのままではどうだろうかと、いろいろと手を尽くすのだが、こちらには芳しい報告は上がってこない。
しかし、この姫は、さすがというか強かというか――豪胆な姫であることに違いはないだろう。襲撃の際、おびえた様子で儚げにこちらに頼る様は、守らねばと庇護欲をそそる風情でありながら、ひとたび周りの眼がなくなると、がらりと空気が変わる。姫自身も国から差し向けられたごくわずかな護衛のほかに、何やら一方ならぬ空気を漂わせる影を持っているらしく――その中に以前彼を狙った刺客がいたことにはおどろいたが――彼らの働きもはっきりと視覚はできないがめざましいものであるとは報告を受けていた。姫は、ひっそりと傍付きの侍女と言葉を交わし、何やら彼女なりに手を打っている様子で、その詳細が気になりはするが、こちらに害をなさぬという確約はとれていることと、彼女の強かさに、胃が痛い思いをさせられながらもどこか惹かれている自身も自覚して、彼は、見守るだけの状況であった。
どうにかしなければならない、だけれども、上手く事が進まない。けれど時は、執務は待ってくれず、焦燥と憂鬱の中で両方の天秤を揺らされながら、彼はキリキリと痛む胃をさすりながら、日々を送っていた。
「なにも心配なさることはありませんわ。私は負けるつもりはないと、何度も申し上げておりますとおり。すべてうまくいかせてみせますから、心安らかにお過ごしくださいませ」
お茶の時間、どこか顔色の悪い彼に対し、姫はそうほほ笑む。その言葉通り、今までの晩餐や夜会にて、他の側妃やその親族からかけられる嫌味の言葉にも仕掛けにも、彼女はひとつたりともひっかかりはしなかった。それどころか、時には儚げに涙を浮かべてみせ、嫌味を仕掛けた相手を見事に悪役へと仕立て返して見せた事すらあった。確かに、彼女の言う通り、負ける勝負をするつもりはないのだろう。彼女のそのはかなげで柔らかにみえる美貌うらはらに、彼女はしっかりとこちらの国の状況や貴族たちの状況を調べ上げており、その持つ知識で鮮やかに行動してみせた。
その頭脳と、美貌と、かの国での寵愛具合を考えるに、何故この国に、何故わが身にと、嬉しいと思うよりも先に、恐れが先立つのは、何故なのだろうか。
相変わらずの憂鬱さと、振り回されるその環境に、思わず壁に向かってため息をつけば、ずっと機嫌のいいままの側近が、呆れたように告げる。
「何がそんなにご不満なのです。あれほどの方を娶られるというのに」
その言葉に、ぷちん、と、糸が切れた。
「不満? 不満なぞないさ、ああ、これっぽっちも不満などあるものか。ただ、ただ、あの時、家出できてればこんな思いなぞすることなかったのにとか、狐と狸の大戦争かよフザケンナとか思っていやしないさ。ああそうさ、知ってるか、狸ってのは姫のことじゃあないぞ、今まで気づかなかった俺が馬鹿なのか、愚かなのか、それとも親だからと盲信しすぎていたのかはわからないがな、あのくそ親父、見事な狸じゃねぇか。知ってるぞ、お前も一枚かんでやがるだろう。あの姫が来てから、どうも親父と接触してやがるようだとおもったら、案の定、だ。フザケンナ、俺が頑張ってきたもんをなんだと思ってやがる。あーあー、どうせ役にたたねぇ間抜けな王太子ですよ、ダメ王太子ですよ、だから家出してやるっつってんだろーがよ。全くどいつもこいつも、俺は決められたことを繰り返すのは得意だがそれ以上はきびしいんだっつーの。親父殿が昔しっかり整備したこの国の基盤があるからなんとかまわせてることくらい、それはさすがに気づいてたっつーの。なのになんだってんだよ、まったく、まったくよぉ……」
壁に向かって一気に呟けば、側近の顔が引きつるのが目の端に映る。しったことか、人前では王太子らしく振舞っているのだからこのくらい許しやがれと内心呟けば、くすくすと軽やかな笑い声が、執務室の入り口の方から響く。
振り返れば姫がいた。
……なにしてるんですかほんとうに。
「我が君さまには、かなりお疲れのご様子。お茶でもご一緒にいかがですか?」
あれだけの醜態を目の当たりにしながら、楽しげにほほ笑みそう誘ってくる姫に、どこか愕然とする。促されるままに席に着き、進められるがままにかぐわしい香の茶を口にすれば、いくらか心がほぐれる気がした。
「わが君さまは、頑張っておられます。頑張りすぎて少しばかりお疲れなのですわ。しかし、今しばらく、踏ん張ってくださいませ。きっちりと、すべてに白黒、カタつけてさしあげますから」
姫の口から出た言葉に、思わず目を瞬く。その彼の様子に気づいたか、姫は楽しげに、それはそれは楽しげにほほ笑んだ。
「すべてが片付きましたら、わたくしが、とてもとても楽しいことをたくさん、教えて差し上げますわ。そう、だから、もう少し、もう少しだけ、乗り切りましょう」
そういって差し伸べられる手に、無意識のうちに手が伸びる。そっとそのまま引かれ、隣り合ったソファに座っていた体が傾き、姫の膝の上に頭を乗せる形となる。
「……っ、これは」
「大丈夫です。人払いをしてございますから。ですから、今は少しだけ、おやすみくださいませ。ちゃんと起こして差し上げますから。少しだけお休みになって、そうしてもう一度、踏ん張ってくださいませ。きっと、きっと、楽にしてさしあげますから」
ゆるりと彼女の細く白い手が、彼の髪を梳くように撫でつける。ゆるりゆるりと繰り返されるその手つきに、長いこと不眠気味であった彼は、次第にとろりとろりと眠りに誘われてゆく。柔らかなその頭の下の感触が、姫からかおるその香が、その細い手の暖かさが、気にならないわけではなかったが――それよりも、もたらされる穏やかな眠りが、すべてに勝っていた。
「おやすみなさいませ、わが君。ひと時の安らぎを、美しきひとときの眠りを。――いずれそれを、穏やかで普遍な日常にするために」
穏やかな声音に誘われるまま、彼は静かに眠りへと落ちていった。
結論から言ってしまおう。
彼女との婚姻は、間違いなく、彼にとって幸いであっただろう。こののち、婚儀までに繰り返された襲撃は次第に減ってゆく。そして、婚儀を間近に控えたある日、王と側妃、そして貴族たちの控える前で、姫はその証拠を証言者と共に差し出したのだ。王はその進言を受け入れ、第三妃以下のものをその罪状により幽閉もしくは蟄居とし、また、その身内も財産没収などの処罰を与えられた。第一・第二妃に関しては、姫と初めに対面した時より何やら行動を潜めており、全くその動向がつかめていなかったのだが、のちに、その婚儀の前の大処罰の件で王と会話した彼は、すべての真実を知ることとなる。――つまりは、王が狸であった、ということなのだが。
第一、第二妃は、確かに権勢への愛着がなかったわけではないが、あれでもどうやら王を愛していたらしく――初めの姫との対面の際に、姫への手出しの危険性を悟った彼女たちに、王が直々にそれぞれ声をかけたことで、行動を改める方向となったようだ。――そんなことができるのならば、最初からやってほしかった、と、思ってしまうのは間違いではないだろう。それが表情に出ていた彼に対し、王は食えない笑いでこう答えた。――そなたが王太子にふさわしくなければ、そうしたであろうよ、と。
そうして、彼は、姫を娶る。盛大な婚儀ののち、彼は静かに問いかけた。
「なぜ、私を選んだのですか」と。
彼女は、それはそれはあでやかに、幸せそうにほほ笑みながら、楽しげに答えたそうだ。
「何よりも勝ち目が多く、それに、どなたより誠実そうでいらしゃったから、ですわ」
さて、このお話、このあたりでおしまいにしたいと思う。
彼と彼女がそれからどうなったのか、少しだけお話するならば、そう、かの王国では、その後、即位した新たな王は堅実さで知られ、またその側には美しく優しい王妃がよりそっていたとのこと。
そして、その国の下町では、時折、それはそれは美しく艶やかな美女と、どこか自信なさげな美貌の青年のコンビが、共に楽しそうに過ごしている姿が見られるようになったとか。
これは、とある国のとあるお話。少しばかりノイローゼだった王子様と、とっても賭け事が大好きなお姫様の、そんな二人の秘密のお話。
ノイローゼだった王子様は、少しばかりふりまわされて胃が痛む日々を送りつつも、日々穏やかに眠れる夜を、手に入れたのでした。
fin
-------8×-------- 8× -------- キリトリセン --------8×-------- 8×--
サイト名:確かに恋だった
管理人:ノラ
URL:http://have-a.chew.jp/
携帯:http://85.xmbs.jp/utis/
「歪んだ童話5題」より
スポンサードリンク