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何事もなく。

2010.10.06 Wed [Edit]
平和が一番だと思うのです。
普通の生活、というので思い浮かぶ、ごく一般的な生活からは、かなりかけ離れている自覚はあります。

家事もあまりうまくない、料理もそこまでうまくない。

でも、平和で穏やかな日が、何より幸せだなぁと、最近思うのです。

体を休める為に、必要があれば体の求めるままに眠ります。

どこまでが怠惰で、どこまでが体のためか、なんて悩むのは、だいぶ前にやめました。

いえ、それでも、悩むことがないわけではないのですが、それがどれだけ不毛なことか、気づいてしまったいまでは、思いだしてもそこまで悩まないようになってしまいました。

だって、どこからどこまで、なんて。
最終的には自分にしか、解らないのですから。

気が付けば、人からどう思われるのだろうと、普通はこうじゃないんじゃないかと。
どこまでも曖昧でしかない相対的視点を求めて、その観点から色々なことを判断しようとしていました。

それが間違っているとは思わないのです。
それもまた、ひとつの視点であり生きていくために知恵なのですから。

けれど、自分がきついかどうか、は、結局は主観でしかないのです。
どこまで自分に許すのかは、自分で決めるしかないのです。

私は恐らく、客観的にはかなり自分を甘やかしているのでしょう。

けれど、それでも、ぐらぐらと揺らいでいた昔の精神状態を思えば、そしていまでも、気が付けば崩れていく、しかし外からはそうとわからない状態を考えると、ささやかでも心地よく感じ取れる環境を作りだせる状態と言うのは、私の中ではかなりのいい状態なのです。

たとえば。

ご飯が美味しかったり。
布団が気持ちよかったり。
お茶が美味しかったり。
空が綺麗だったり。

そのすべてが、気が付くと「わからなくなっている」状態が、時折訪れるのです。

そして、そうなっていたことを、再び、ご飯が美味しいと、空が綺麗だと、風が心地よいと感じたときに、気が付くのです。

それが、私という生き物なのです。

そうやっと、気づくことができたような気がするのです。

そしておそらく、親はそのことに気づいていたのでしょう。
だから時折、子供達を実家へと連れて行っていたのでしょう。

いえ、ちゃんと食事もさせていたし、お風呂にも一緒に入っていたし、一緒に暴れたりしていました。

きっと私の中で、生活を維持することと、子供のこととで、容量が一杯だったのでしょう。
自分の心地よさ、自分という存在を、どこか見失いがちだったのでしょう。

大げさな意味ではなく。

健康というのは、心も健やかであることなんだなぁと。

ふと、ぼんやりと、思ったりした、秋の夕暮れ。



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