[メモ]すべてまあるくおさめるここちよさ
2013.12.15 Sun [Edit]

round cat in a round box / wsmith
私は、割りと短気です。
すぐにカッとなるし、割りとキーキーいいます。
でも。
少しずつ、少しずつ。
年のせいかもしれませんが、それも減りつつあるように思う昨今。
些細なことに、目くじら立てるより。
裏っ返して考えて、まるくまるくおさめると、心地よいものだなぁと、そんなふうに思うのです。
いやなことがあったり。嫌な思いをしたり。
もちろん、そのされたことが社会的にどうなのよ、っていうことだとしたらまた少し違いますが、些細なことでも、気になることってあったりします。
昔の私は、それにいちいち腹をたて、憤慨し、イライラしていました。
今でも全くない、わけではないのですが、それでも、少しずつ、改善されていったのは、視点を変える、という考え方を知ったからかもしれません。
些細なこと。
職場で、いつも不機嫌にしていて感じが悪いな、と思ってた同僚。私は普通に対応してるのに、なんか感じ悪い! なんて、無駄に憤慨してた若いころの私。
でも、思えば、その方だって色々事情があるのかもしれない。もちろん、他者がいる場所で不機嫌全開でいることがイイ、とはいわないけれど、事情も知らずに否定だけするのは、なにか違うのかな、と、そんなふうに考え始めたのは、いつだったのか。
おそらく、嫌だな、と感じてた相手だけど、笑顔で挨拶を続けてたら、微かだけど笑って応えてくれるようになった、だとか。きつい言い方をする相手だな、と、苦手意識はあっても、きちんと対応しつつ話してみたら、かなり気配りの人だった、とか。
そんなことを、幾度か経験することができたからかも、しれません。
私は気が短いくせに、小心者です。昔はそれなのに、がっつんがっつん、正論だと思うこと(
ポイントはあくまで私視点での正論)を押し通して我を通してきて、無駄にぶつかっては苛立ったり凹んだりと、せわしないことこの上ありませんでした。
次第に、正論は人の数だけある、ということ、はたから見てAと見えたとしても、事情を知ると全く異なるBという状況になりうる、ということを知って、少しはマシな人間になれる方向にシフトしたのかもしれません。
中道、とか。なあなあ、とか。そういうふうにいってしまうと、身も蓋もないけれども。
できればそうありたいなぁ、と、考える、今日このごろ。
私からみて、理不尽でも、納得しづらいことでも。
裏を返せば、いろんな事情があるのかもしれない、と、考えて。
もちろん、自分やこどもに害が及ぶ場合は別、ですが、そうでないのなら、ほどほどに、まあ、色々事情もあるよ、と、そのくらいの気持ちでいるほうが、生きていくには楽なんだなぁ、と、そんなふうに感じています。
ほどほどに、ゆるゆると。
ちゃんとケジメをつけるべきところはつける、けれども。
それなりに折り合いをつけて、ほどよくまあるく、心のなかをおさめる。
これはとても心地良くて、穏やかに過すためにはとてもいい方法なのかもしれません。
戦うことも、まっすぐであることも、自分の考えをもつことも、素晴らしい、けれど。
私はあえて、ほどほどの、ゆるゆるで、のんびりと、まあるくまあるく、生きていけたらいいなぁ、と、そんなふうに思うのでした。
まあ……こどもに関してはがっつんがっつん、キーキー怒ってるんですがっ。こればっかりは、仕方がないよねっ><;; (笑)
母親というものは、因果なものだなぁと思いつつ、今日はここまでにしたいと思います。
以上、ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
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